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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 「読書」 第21話

書物を愛し、知識の輪を広げた藩主

「秋の風 書むしばまず 成にけり」(蕪村)――10月は気候も落ち着いて、灯火親しむ季節。旅を重ねる蕪村も、心地よい秋風に吹かれて読書を楽しんでいたのではないでしょうか。今回は、この本好きが高じて図書館までつくってしまった藩主など、江戸時代の元禄・正徳期(1688~1716)の時代に盛んになった、武士たちの読書事情にスポットをあてます。

「文武両道」という言葉がありますが、この時期は戦国時代のような戦もなくなり、5代将軍徳川綱吉によって武士は武芸よりも儒学などの学問を通して礼儀や道徳を学び、政治を司る存在になることが理想とされるようになったのです。綱吉というと、悪名高い「生類憐みの令」※による“犬将軍”のエピソードが思い浮かびますが、“好学将軍”とも呼ばれる学問好きで、自ら大名たちに講義をするほどでした。

この綱吉と学問の同志ともいえるほどの付き合いをしていたのが、加賀藩主の前田綱紀※。綱紀は家臣たちにも学問を奨励し、自ら儒学の講義などを行いました。同時に、乞われて江戸城で将軍綱吉へ進講するほどの知識人でもありました。

その基盤となったのが、綱紀が10代から収集していた書物。和書・漢籍・蘭書や古書簡など多岐にわたり、専任の書物奉行を幕府のほか諸国の大名、社寺や旧家にまで派遣して書物を購入させ、あるいは借用して書写させるほど徹底していました。

「尊経閣文庫」※と名付けられた私設図書館は、江戸城に設けられた「紅葉山文庫」と肩を並べるほどの内容と蔵書数を誇りました。その規模は、儒学者の新井白石が「加賀は天下の書府なり」と称賛したほどでした。綱紀の本好きは収集だけではなく、書写のために借用した書物が傷んでいたら修理して返却するなど、書物を所有する人への感謝の気持ちを常に忘れませんでした。そのため、どんなに貴重な書物でも、綱紀に貸し渋る人はいなかったのです。

京都の東寺から仏事に関する資料を借用したときは、虫や湿気や火にも強いとされる百個の桐箱をつくらせた上で、そこに納めて返却しました。以来、「東寺百合文書」と呼ばれるようになった文書は、貴重な資料として現存しています。

また、綱紀は書物を通して多くの人と交流することも好みました。先の新井白石をはじめ、中国の儒学者の朱舜水、兵法者の山鹿素行、本草学の貝原益軒などと親しく付き合い、時にはその活動を支援することもありました。

江戸時代後期は、武士たちは各藩が設けた藩校※で学び、町人や農民は「読み・書き・そろばん」の実学を寺子屋で学び、世界にもまれな識字率の高さを誇っていました。綱紀も、自ら収集した書物を納める図書館だけではなく、藩校の設立を計画していましたが、生前には実現できませんでした。しかし、その意志は後の11代藩主の前田治脩※の時代に入り、文武の修業所として明倫堂と経武館が創設され、藩士の子弟だけではなく、庶民も入学できる士庶共学という形で受け継がれました。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※「生類憐みの令」
江戸幕府5代将軍徳川綱吉(1646 -1709)が在位中に行った動物愛護を主旨とする法令の総称。その意図は仁愛の精神を養うことだったが、将軍の強大な権力に迎合する役人たちによって増幅され、また綱吉の生母が、戌年生まれの綱吉に世継ぎができないので、犬の愛護を勧めたことから、いっそう極端に走り、悪政といわれるまでになった。

※前田綱紀[1643-1724]
加賀藩第5代藩主。幼名、犬千代。武士の浪人対策や職制の改正など藩政改革を行い、学者や文人の招聘や図書の収集・保存・編纂にも努めて図書館となる尊経閣文庫の基礎を築いた。また、演芸・美術工芸の振興などにも尽力した。

※「尊経閣文庫」
加賀藩主前田家が集めた典籍・文書を保管する図書館(東京都目黒区駒場にあり、財団法人前田育徳会が管理)。蔵書の中核は5代綱紀の時代に収集された和漢韓の写本・刊本などは数万部ともされ、国宝・重要文化財に指定されたものも多い。

※藩校  
江戸時代に各藩が藩士の子弟教育のために設立・経営をした学校。儒学が中心だったが、洋学・医学の教育を行う藩校もあった。江戸時代後期には全国で400校あったとされる藩校も、明治維新後は廃止されたり、後の大学の前身となった。

※前田治脩[1745-1810]
江戸時代後期の加賀藩主。出家していたが、跡継ぎとして明和8年(1771)11代藩主に就く。寛政4年(1792)藩校明倫堂、経武館を創立。


参考資料
『江戸大名の好奇心』(中江克己著 第三文明社)
『江戸時代 人名控 1000』(山本博文監修 小学館)
『将軍様と町人編 江戸考証読本 一』(稲垣史生著 新人物文庫)
『ビジュアル・ワイド江戸時代館』(竹内誠監修 小学館)
『見る・読む・調べる 江戸時代年表』(山本博文監修 小学館)



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