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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第60話「火鉢」

互いの距離を縮めた、温かなおもてなし

「客去って撫でる火鉢やひとり言」(嘯山:しょうざん)※──師走の12月に入ると、そろそろ暖房器具を本格的に使い出します。部屋の模様替えを兼ねて、早めの大掃除をする家庭も多くなることでしょう。

現在は、室内全体を暖める暖房器具や、人の動きに合わせて暖房が働くシステムもあるようです。しかし、江戸時代は冒頭の俳句にもあるように、室内の要所要所に火鉢を置き、客人のもてなしにも気を遣いました。

今回は、幕末の時代を生きた武蔵国忍(おし)藩(現在の埼玉県行田市)の下級武士である尾崎石城(せきじょう)※の暮らしぶりと、武士の師走の風景をご紹介します。

尾崎は安政4年(1857)29歳の時に、上司に藩政を論じる意見書を出したことが原因で下級武士となり、妹の尾崎邦子とその夫の進夫婦の家に居候する身。しかし、随筆や詩も書き、屛風絵や襖絵も描く絵心があることから、同僚の子弟たちにも教えていたようです。寺の住職や近所の町人、中級武士などとも頻繁に会っては飲食を共にして、その様子を絵に描いて日記に残しています。

文久元年(1861)12月6日、この日は尾崎家の大掃除である煤払いの日。朝早くから掃除に精を出し、午後2時頃には終了して風呂に入り、夕食を囲む様子が絵日記に描かれています。夕食の献立は湯豆腐に煮しめ、すきミ(マグロの中落ちのことか)、数の子と、ちょっぴり豪華。

石城の右には鉄瓶がのせられた長火鉢※があり、左には湯豆腐か、燗酒をつけるために用意された円火鉢が描かれています。夕食を囲んでいるのは、家族の他に煤払いを手伝いにきた近所の少年とその弟、髪結いの女性の姿もあります。

少年たちは経済的に困窮している母子家庭の、日頃から石城が目をかけている子供。髪結いの女性はおそらく妹の邦子の丸髷や石城の髷を整えている縁で、親しくなったのでしょうか。独り身でいるのを気にかけてか、こうした行事や食事の席には招いているようです。

酒好きで議論好きで豪放磊落な性格が災いし、下級武士に格下げになっても気にすることもなく、石城は訪れる人に分け隔てなく接し、大いに暮らしを楽しんでいる様子が伺えます。しゅんしゅんと音を立てて沸く鉄瓶の湯や、湯豆腐の鍋の湯気が見えるような火鉢を配した、あたたかな尾崎家の団欒が生き生きと描かれています。

現在では珍しくなった火鉢ですが、その歴史は平安時代に遡ります。ちなみに「火鉢」の呼称が現れるのは、正倉院御物にある大理石製三脚付の香炉を兼ねた「火舎(かしゃ)」で、現存する最古の火鉢とも言われています。

寝殿造りの御所や貴族の邸宅は囲炉裏を設えられない構造の床張りだったため、火鉢の前身となる土で固めた耐火仕様の「火桶(ひおけ)」や「火櫃(ひびつ)」などを持ち歩き、手足を温めて暖をとっていました。

それ以外は寒さを凌ぐには重ね着をすることで、あの十二単(じゅうにひとえ)にも必要な事情があった訳です。鎌倉時代からは庶民にも火鉢の使用が見られるようになりますが、普及するのは木炭が入手しやすくなる江戸時代。素材も木製、金属、陶磁器などがあり、暖房用だけではなく、お湯を沸かしたり、簡単な調理をする用途にまで幅広く活用されました。

江戸時代に流行した浮世絵にも、長火鉢で酒をお燗する町家の女房や、和紙を張った焙烙(ほうろく)で茶葉を遠火で焙(あぶ)ってほうじ茶をつくる様子や、茶器を温める「猫板」というはめ板の上に猫が座っている様子などが描かれています。

暮れも押し詰まった12月21日の石城の絵日記は、集会で酒を飲みすぎて幕府や藩政を批判した石城が自宅謹慎になり、それを聞いた仲間たちが見舞いと称して集まり、火鉢を囲んで餅を焼いたり、お燗をつけている様子が描かれています。

現代の暖房器具のような機能性こそありませんが、火鉢には人と人の距離を近くし、その気持ちを確認し合い、温かなひとときをつくり出すことができる存在だったのかもしれません。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※嘯山【1718 – 1801】
三宅嘯山。本名芳隆。江戸中期の俳人、儒学者。京都の人。妻が芭蕉の門下生の孫にあたることから俳諧に関心を持ち、与謝蕪村らとも交流し独自の俳句の境地を開いた。
 
※尾崎石城【1829 – 1874頃】
本名は尾崎隼之助。江戸詰めの庄内藩士、浅井勝右衛門の子供で、忍藩士の尾崎家の養子となる。文才もあり、頼まれて絵も描く器用さで、33歳の文久元年の6月から翌年の4月まで178日間に描き、書き綴った『石城日記・全七冊』は、江戸時代の武士の暮らしぶりがわかる貴重な史料として読み継がれている。慶応義塾大学文学部古文書室展示会のデータベースで原本が閲覧できる。
https://kmj.flet.keio.ac.jp/exhibition/2013/04.html
 
※長火鉢
居間・茶の間などに置く長方形の箱火鉢。欅や楢、桑などが素材の木製で、一般的な大きさは長さ二尺(約60.6センチ)、幅一尺二寸(約36.4センチ)、高さ一尺一寸(約33.3センチ)。灰を入れる落としの部分には銅板を張り、炭火で湯を沸かしたり、簡単な調理ができた。煙草や海苔などを入れる引き出しなどが付くこともあり、卓袱台代わりにも使われた。


参考資料
『江戸庶民風俗図絵』(三谷一馬著 中央公論新社)
『事物起源事典 衣食住編』(朝倉治彦 他編 東京堂出版)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会 弘文堂)
『幕末下級武士の絵日記』(大岡敏昭著 相模書房)
『図説 俳句大歳時記 冬』(角川書店)


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