〔たつの市総合文化会館 赤とんぼ文化ホール〕での『古典芸能 京舞 人間国宝井上八千代公演』、八千代さんと祇園甲部の皆さんの舞台、つづき。
さて。前回は、八千代さんの「老松」、芸妓・舞妓さんの「子年春 春日萬歳」「花笠」と、八千代さんによる井上流の歴史、祇園甲部との関わり方のお話。その、つづきです。
八千代「老松は、おめでたい雰囲気を味わって頂きたいものです。子年春 春日萬歳を舞いました舞妓が持っていました扇は、子年に因みまして、また、令和最初の事始めで、おかがみのおうつり、お返しですね、その時に渡したものです。
べらべら喋っておりまして……、あの、今何分ですか?(客席笑う。舞台袖から「大丈夫でーす」)。大丈夫だそうです。
ではチョット出て来てくれますか、やっちゃん」
下手より安寿子さん登場。黒の、後見でよくお見かけするお着物。膝ついて、一礼され、
安寿子「井上安寿子です」
八千代「うちの娘です」
拍手。八千代さん、安寿子さん、向かい合わせに立たれ、
八千代「うちの流儀では、まず、門松という曲から習います。
今、皆さんに対して横向きになりましたのは、おいどをおろすのを、見せる為です。まず、礼から始まります(と、正座される)。
扇を前に置きます。ふつう右に要が来るように置きますが、稽古する相手が子どもでしたら、子どもが右に置いても私は左に要が来るように扇を置きます。鏡ですね。で、お辞儀です。
対面稽古ですね」
暫く、お稽古の様子を説明される。歌舞伎の方は、手を小さくして「ぬすみ」ますが、うちは女ばかりですので、その必要がありません、など。
八千代「で、うちの流儀で一番よく言うのが、おいどをおろす、です。軸をブレないようにします。お帰りになったら、いっぺんおいどをおろして見て下さい」客席笑う。よく笑う。
八千代「踊りと、我々のやっている舞の違い。これは比喩ですけど、踊りは、お月さんを、こう直接見ます(と、扇を翳す)。私たちは、水に映ったのを、見ます(と、下に目線を送る)。
また、足を滑らせるように歩きます。浮かしません。とても堅苦しい。先ほどもありましたが、スーッと前に出ます、ツツツと後ろに退きました。退く時に、なるだけ揺れない。
あと、顔、表情を出しません。技法は余りなく、どこを見てるかが大切や、と教わります。愛想無い、と良く言われますね」また笑う客席。
八千代さん、「エー、私が喋ってるより、皆出て来てもらいましょか」の声で、安寿子さんと入替りで、芸妓さん、舞妓さんが登場。横一列にズラーっと並ばれる。筆者まったく不調法で、所謂ゲイシャという紗は夏着るのか冬着るのんかも解りませんで、お名前やらが違うてたら先謝っておきます。勉強にどなたかの御供さしてくださいませ。
「さあ、自分でお名前を」とマイクを向ける八千代さん。
「まめ鈴どす」
「カラゲで舞ってました、男役でしたね。こういう帯の結び方を、キッチャの結びと言います」
「市有里どす。おたの申します」
「舞も舞ってましたが、太鼓の小耀さん、笛の槇子さんと一緒に、地方もやってくれました」
「まめ衣どす、おたの申します」
「仕込みさん時代、何が大変でしたか」
「京言葉が大変どした」
「お国はどちらですか」
「神奈川です」
この辺りから、八千代さん「打合せの質問と違うかも知れませんが」と矢継ぎ早。
「◯◯さんは、もうすぐ襟替えですね。何か心配なことは?」
「芸妓としての責任が出来てくる事です」
「襟替えが近づいてくると、私らが見ても、女性っぽくなりまして、それが楽しいです。それを見守る、というのが、楽しみですね」
「◯◯さん、どんな芸妓さんになりたいですか?」
「私は、お稽古が好きですので、芸が出来る芸妓さんになりたいです」
「小耀さん、芸妓さんになって、良かったことは?」
「特殊な世界ですので、貴重な体験、素晴らしい人にお会いできたことどす」
「私なんかはあまり地方に呼ばれることは無いんですが、彼女たちは、よく行っております」
八千代「今日一緒に来てくれた芸妓さんは、昨年名取になりました。黒紋付を着まして、私が名前を書いた名取扇、祖母が書いたのとは値打ちが違うてくるんですが私が書きまして、簪は、島田の頂に玉を挿します。この玉の、白い、何にも無いのを「おとふ」お豆腐ですね、おとふと言います。
どこかで、彼女たちをご覧になると思います。
お目にかかるのを、彼女たちも願っております」
と、ここで芸妓さん、舞妓さんは次の準備にと、退場される。
八千代「最後に、祇園小唄を舞ってくれます。祇園の代名詞のようなものです。今日は、二人の合舞を、三組で。
よく掛かりますが、これは、毎日毎日稽古しておりましても、一番崩れやすいもので、真面目に取り組まないといけないのです。
私の祖母、四世八千代が、内弟子から師匠になった時に振付を頼まれまして、ちょうど忙しい時分だったそうです。ですので、お掃除の最中に考えながら作った、と申しておりました。お掃除の割には、よく出来ております」
お時間はどうですか、もっとですか?まだでーす、のやりとりがあって、ここで質問コーナーに。葉子さんがマイク片手に客席に降りる。
舞妓さんのお年は幾つですか?
八千代「明治の頃は、トオ位で、舞妓に出ました。今は、中卒くらいですね。他人さんの中で、暮らすので、お友達が大切よ、と言います。
(八千代さんらしい、話の飛び方で)
今は、置屋さんなどの環境も、昔と違って来ました。
若い頃、置屋の条件などを均一にしたらどうか、と考えたことがありました。定休日を決めるとか、勤務時間を皆一緒にするとか、考えましたが、なかなかこれが整わないんですね。それは、やっぱり、人と人、の仕事やからです。
エー、15~6歳で来はりまして、襟替えはハタチ頃、それから5、6年ですかね。置屋やなく、自前さんになったら、衣装も自分でやらないといけません。
また、祇園の中で住まないといけません。最近は、便利だからと、デパート(河原町の?)の近くに住んではる人もいます」
お稽古は1日どれ位されますか?
八千代「舞妓さんの1日の過ごし方ですと、女紅場学園というのがありまして、10時から開始します。稽古の正味は30分くらいですね。都をどりの時は長々とやっております。
舞の稽古を待っている間に、囃子やお茶、三味線のお稽古をします。これを1日で消化しないといけません。たまにヨソにお稽古に行くこともありますし。
朝10時から始めて、16時位にはやめてほしい、と言われます。というのも、夜はお座敷があるわけですから、夕方には、気持ちを変えたい、訳です」
井上さんは、お酒はお好きですか?
八千代「私は下戸でして」
お客「御気の毒です」
八千代「四世は同じく下戸でしたが、三世はよう呑んで、大変強かったそうです。残念です」
お客「八重垣というお酒があるんですよ。私は昨日の夜、頂きました」
八千代「残念です」
お客「御気の毒です」
八千代「何か、一つ頂いた気分になりました」
あざやかだった。
八千代「大変長らく、お付き合い頂きまして、ついつい祇園の話ばかりになりまして、京舞に就いてはお話出来ませんでしたが、あ、私、胸にマイクが着いておりましたね、マイク持たなくて良かったんですね」
で、また大笑い。マイクを扇に持ち替えて、
八千代「ま、こんな振やら(袖で口隠す)、こんな、手を上げて、怒るやら、ありますが、喜怒哀楽の表現が少ない、判り難いとよく言われるのですが」
と、ひとつ置いて、
「噛めば噛むほど、味わいのある舞だと、自負しております」
長々ありがとうございました。また、お目に掛かりたく存じます、と八千代さんお辞儀されているところへ幕が下りる。
葉子「楽しいトークの後に、祇園の芸妓、舞妓によります、祇園小唄を最後に観て頂きます。
京都には、五花街と申しまして、5つの花街があり、それぞれ踊りの流派が違います。もし、京都にいらしたら、その違いを楽しんで頂きたいです。
今日は、蔭囃子で、コンチキチンを打ちます」
祇園小唄。ぼんやりと眺めていた。そういうものだと思う。まめ鈴さんが笛をされていた。
葉子「如何でしたでしょうか。京都からご当地は離れておりますが、少しでも、興味を持って頂きましたら、幸いです。先ほどから申してますが、4月に、京都の南座で、都をどりがございます。遠いですが、お誘い合せの上、どうぞお越しくださいませ。ありがとうございました」
夕四時半、終演。ロビーに出ると、黒山の人だかり。何かと見れば、
お見送りで、なのか、判らないけど、みな写真撮っていたので、便乗して。ただ、ちょっと後ろめたい気分にもなった。きまりが悪い、というか。
舞台で八千代さんと並ばれた時に、写真タイムを設けられたら、ひょっとしたら、何かポーズの一つもとってくれたのでは、と思った。カバー画像に使といてなんやけど。何と言うか、おいどが落ち着かない感じ。
京舞の、というより、都をどりのPR公演。でも、井上八千代オンステージみたいな印象もある。華やいだ雰囲気が垣間見えて、面白かった。
このような公演が今後、増えるのだろうか。ならば、まことに微力ながら、その面白さを伝えたく、加勢を、と、認めた次第。