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千日前〔TORII HALL〕での『上方文化講座』「上方舞」最終回へ。

トリイホールさんが、大阪市の助成も受けてやってこられた、上方文化講座。
以前は確か、上方文化再生フォーラム、上方文化ルネサンスというシリーズだった。芸能や食文化を取り上げていた。肥田晧三先生の講座「ほんまもんの上方文化論」を聴きに行き、その知識量と熱量に圧倒された思い出がある。

そんな、名前を変えて続いた、このシリーズも、トリイホールさんの閉館により、今回で最終回。掉尾を飾るのは、

昼3時、開演。おなじみ鳥居さんのご挨拶があり、

進行役の桂吉坊さんが登場。焦香色というのか、薄い小豆色のお着物。
吉坊「ようこそいらっしゃいました。
毎年12月にやって参りましたが、ひとまずは、ラスト、ということで。お寺に改修されるそうですね。
ラスト、ですが、お賑やかに参りましょう。
それでは、山村友五郎さん、花柳寿楽さんです」

友五郎さんは、細い縞の入ったお着物に深緑の袴。寿楽さんは、黒の紋付に鳥の子色のような袴。

吉坊「初めていらっしゃった方は、ビックリする位よく喋られると思います。ま、時間はたっぷりありますので。

寿楽さんは、2012年から参加されましたね」
寿楽「東京の人間としては、よく来ている方だと思います」
吉坊「今日のご趣向は、東の人が西のものを、地唄ですね、友五郎さんのホームと言いますか、ね、その地唄の「八島」を寿楽さんが、ね……急に無口にならないで下さい。(うなずく位しかされなくなる)。

そして、友五郎さんが東のものを、ということで、大和楽の「河」をされます。河は、これは隅田川ですね」
友五郎「淀川でも道頓堀でもないです」

吉坊「寿楽さん、地唄はよく踊られますか」
寿楽「しょっちゅうは見せないですね。見せられない、というか」
吉坊「ひょっとしたら、大阪では初めて?」
友五郎「いや、一緒に「蛙」くらいかな」

今回、寿楽さんが踊られる地唄「八島」は、元々、荻江節の「八島」があったのを、ある会で「地唄で踊って欲しい」と依頼された時に地唄に移したもの。荻江節と地唄では、合が少し違う位だったそうな。

寿楽「ま、トリイホールのお客様はもうホームのような感じですから。出演回数は、松竹座や文楽劇場よりも、トリイホールの方が多いと思いますから、お見せしても大丈夫だろう、と」
ちょっと風の変わった催しをする、秘密倶楽部的な雰囲気を感じさせるのも、トリイホールの魅力だった。

続いて、東のもの、大和楽「河」に就いて。
友五郎「これは楽正さんが拵えはった。それで、2年前の楽正さん十年追善で文楽劇場で舞わしてもらいました。
地唄は身近やけど、大和楽はやっぱり、振のアプローチが違うなぁと。
あと、隅田川の風景と曲の風合いをどう合わしていくか……。やっぱり隅田川は、道頓堀とかと違って、知ってる風景ではないから、その違いやね」

吉坊「それでは、見て頂きましょう。まずは、寿楽さんから。設営がありますので、解説致します。
能の「屋島」からとってきてまして、ね、寿楽さん。あ、俺はうなずきしかしない、という顔をされましたね。
〽️︎釣の閑、という歌詞から始まります。そこへ西国行脚の僧が現れまして……」
と、鮮やかに解説される。
寿楽「友五郎さんのところに伝わっているのは、西行法師の所から。うちには、釣の閑から。それはさっき言った、荻江節がそこから始まってるから、です。友五郎さんに訊いたら「うちには、釣の閑からは無いわ」と
なので、釣の閑からだけは、自信を持ってます」

地唄「八島」花柳寿楽

舞台やや下手に行かれ、膝を着いて構えられる。釣竿の準備の振付から始まる。
全体を通して、合戦の様子を除いて、確かにゆったりと動かれる。が、どこかに、舞を舞っている、というより、舞を「やっている」感じもある。廉廉までが意外と長い感じ。
扇も、使い方が違った。舞だと、波も、刀も、開いて使う。そこが、波は同様だが、刀は閉じて、つまり棒状で使う。弓を引く時の脚も、ギリギリギリギリと、リアル。
今日の舞台の関係もあろうけれど、馬を引き出して、から、弓を流す、敵を見据える等の、その目まぐるしい感じが、合戦の臨場感にも通じるような。

吉坊「ありがとうございました。ふだん観る地唄舞と、印象が違うのを楽しんで頂けたと思います。

さて、続いては、大和楽「河」です。
昭和22年の大和楽研究会で発表された曲だそうです。
隅田川の朝から始まり、両国の川端、繁華なところです、そこの人の行き交い、花火が揚がる、雨が降る、夕景になりますと、しっぽり濡れる二人がいるという、隅田川の一日を描いています。
女性の長唄、のような感じでして、コーラス部分があります。音楽的にも面白いと思います。
それでは、お願い致します」

大和楽「河」山村友五郎

上手より、舟を漕ぐ振をしながら、登場。船頭の仕事ぶり。煙草をスパッと吸う。
陸にあがって両国の賑わい。歩くのも、摺り足でない、大股。ひょいひょいあらよっという感じで。三味線のスチャラカチャンに合っている。
両国の風景、浄瑠璃の小屋や、独楽売り。この、独楽の曲芸(袖をピンと張り渡らせたり、扇を昇らせたり先に止めたり)の迫真さ、フッと可笑し味があるほど。夕景の歌詞になり、スッと立ち上がり後ろ向きで襟を直せば、ああ、なるほど。

ありがとうございました、と吉坊さん、寿楽さんが出てくる。ちょっと汗だけ直させて、と友五郎さん。イスを並べて、ここからはトークコーナー。

吉坊「如何でしたか?」
寿楽「細かい事を言えばアウェイなんだろうけど、トリイのお客さんはアウェイ感がないです。
舞台に関して言うと、大きさが二間ですから、振が余っちゃう。例えば馬を引く所、四間進んで三間戻るんですが、二間では余る。といって、行ったり来たりも、ねぇ。地唄、といっても、やっぱり四間でやってる訳です。お座敷サイズではない。
といって、作り直すには、うちには地唄のワードが少ない。友五郎さんは多分、手が多いな、と思ったでしょう。逆に「河」の独楽の曲芸のところなんかは、うちだと、長い曲芸を入れると思う」

空間の処理、振付での埋め方の違い。それは地唄特有の時間の流れにも関わるようで、
寿楽「三味線が、ここで来るかな、てところで、なかなか来ない。チントンシャン、ホイ。じゃなくて、チントンシャン、、、ホイのような」

空間によって変わる振付。先述通り、大和楽「河」は楽正さんが振付したもので、劇場用に拵えられたもの、と友五郎さん。
友五郎「漕いで出てきたでしょう。今日は音源も端折ったけど、置きが長いんです。それで、文楽劇場やったら漕いで出てきたけど、今日はこの二間の舞台ですから、切りました。
大和楽は、照明とセットになってるので、夕景なんかは暗くしてた。雰囲気が助けてくれたし、また、自分もそれに気持ちが乗ったりしてね」
吉坊「直接的な演出ですね」
友五郎「東京のものやけどやりにくい、というのは無いです。
ただ、ほら、江戸者の血が流れてないやんか。やから、鼻をこう擦る(てやんでぃ、みたいな)のは、出来ない。なんていうか、ずっとお尻の穴をキュっとするみたいなんが、出来ない」
寿楽「反対だ。関西のは、お尻の穴がちょっと弛む感じだわ」
吉坊「あの、他に表現はありませんか」
今日のハイライトでした。

友五郎「八島を見ていて、戦の方へ持っていってる感じ。
舞と、踊りの、それぞれが持ってる得手不得手があって、踊りは合戦の部分に向いているんでしょうね」
寿楽「でも、この二間の幅でしょ。馬が川に入るのを怖がって、体を引く、という所が出来ないんです。だから、何だかヤダヤダヤダ、みたいになってしまって。地唄でその様に見える、見せる習練がなされてませんね」
友五郎「うちは、八島は、この幅(両腕を広げ)で、二枚扇で出来ますね。薙刀使っても、屏風に当たらないと思う」
寿楽「うちだと屏風が飛んでいく」
吉坊「お客さんの首が2つ位飛びそうな……。

ただ、調べた所によりますと、実は意外とこちらで寿楽さん、地唄を踊ってはるんです。
一応、企画を毎回立ててまして」
友五郎「好き勝手喋るだけになるから、何か企画せえ、言われてね」
吉坊「東西入替え、てのも、前にやってまして、江戸小唄の「年の瀬」を友五郎さん、その時に寿楽さんは地唄の「七福神」。
で、このリハーサルが面白かったんですよ。
同じ曲で山村流にもあるから、あっちとそっちで同時進行でやらはったんですよ。
一福ずつやるんですが、布袋は同じ格好するけど、弁天さんは立ってる、座ってる、やったり」
これ、またどこかでやりたいなぁ、と仰有ってた。

前半のトークの部(吉坊「まだ後半の、"トーク"もあるんですよ」)、最後に2019年を振り返る。

寿楽さんは、『2020年の某大河ドラマの所作指導』。今が一番大変、と。御愁傷様です。

友五郎さんは、『西国三十三所の先達になった』。
吉坊「どうして、三十三ヶ所に行かれるようになったんですか」
友五郎「46歳から上の舞踊家像が分からなかったから。母が46で亡くなってるので。となると、祖母の60まで飛ぶんです。だから、仏さん頼み」
吉坊「同じ所行って、同じことやるんですよね。飽きたりしないんですか」
友五郎「季節がちがう。すると、咲いている花が違う。景色が違う。今、いいこと言ったね」
吉坊「食べ物の旬が違う、言うか思たら」
友五郎「一期一会、ですから。今日の「河」も、二度と出来ないし」

と、言ったところで、10分間の休憩。

休憩あけると、イスが4脚に。
吉坊「イスの数が一脚違う。もう、恒例のシークレットゲスト、吉村古ゆうさんです」

海松茶のようなお色の着流し、黒の帯。
すらりと座られる古ゆうさん。マイクは要りますか?に、頑張ります、と。

吉坊「このメンバーの中で、トリイホールの最初からを知ってるのは、古ゆうさんだけ、ですね」
友五郎「そうやね、ここの柿落としが、古ゆうさんのお師匠さん、雄輝さんで、その付人で来てはったんが古ゆうさん。あれが、三十年前やから、二十代やなぁ」
古ゆう「さぁ。ひょっとしたら十代かも知れない」
吉坊「いや、お二人同い年ですよ」
シークレットゲストの恒例さが窺える、掛合い。

トリイホールの前身、上方旅館の常連だったのが、古ゆうさんの師匠吉村雄輝と、吉坊さんの大師匠桂米朝。
吉坊「米朝師匠は、角座の昼夜の合間に来て、ここで原稿を書いていたそうで、その部屋、ひさごの間、というんですが、その部屋が今の我々の楽屋なんです。
よく、向かいの天丼屋から出前取ってはったそうです」
友五郎「取れたんや!あの、先代の、恐いおっちゃんの?(何が恐いの?と寿楽さん)
座ってごちゃごちゃ言うたらアカンねん。あの天丼のぉ、て言いかけたら、うちは天丼しかないんやから、座るか、赤だし、だけ言うてくれ、て。大盛もダメ」
吉坊「大盛、言うたら、列び直せ!て。で、列んでまた入ったら、ニヤッて笑って天丼出したそうです」
話は一頻り、上方旅館での伝説。恐い仲居さんの「おきみさん」(あんたはもう呑むな!と米朝師匠を叱りつけた)、隠してある酒を暗がりの中、捜して、やれ嬉やと呑んだらみりんだった古今亭志ん朝師匠、常宿やのに朝帰りする雄輝師匠など。まさに、お尻の穴がユルんでいるような時代の話。

そこを改装して、上方ビルにし、中で落語や演劇が出来るようにしてくれ、と頼んだ筆頭が、米朝師匠。舞台に敷く所作板は、国立劇場ど同仕様のものにしなさい、など、細やかな指示があったそうな。

古ゆう「ここのお舞台は、私にしたら広いくらいですね。うちもお座敷ですから。ただ、客席との距離感は特殊ですね。特にお辞儀した時、目線がお客さんと合う」
から、話は、客席は演者からしたら、よーく見える、に。
吉坊「意外と判るもんで、聴く気が無い人は、あ、今、心の灯りが消えたな、と」

かなり、ぶっちゃけた話。これも、恒例。
寿楽「お客さんが、こちらを育ててくれる、というのもあるが、お客さんを、おこがましい言い方だけど、育てる、というか、増やす、ですね。
いろんな形で、ものを、観る、聴く。そして、想像する。その、楽しみを持つお客さんを、「増やす」のが大事だと思っています。
だから、プライベートの切り売りみたいな話をしていますが、我々にも、ONとOFFがあって、そんな人間がONになって、女を演じる。あぁ、芸なんだな、と。そこに面白味を感じてもらいたいですね。

プライベートの切り売りは、止めた方が良い、という方たちも勿論いらっしゃいます。でも、今の時代には、今使っている言葉で言った方が、心に響くこともあるのではないか、と思ってお話しています」

吉坊「所謂、昔のお客さんと、今のお客さんの、違いみたいなものは感じられますか?」
寿楽「恐いお客さんが減ったと思う。東京は割と元々少ないんです。けど、関西は多かったぁ」
吉坊「関西は、詳しいから、か、黙ってられへんか、やったんでしょうね。

さ、時間もだいぶと押して参りました、が、これすら予定通りです。まだ許容範囲。シークレットゲストの方もいらっしゃるので、舞って頂きたいと思います」
友五郎「今思いついたんやけど、先に僕がやるわ。で、ここの柿落としが雄輝師匠やったんやから、最後に古ゆうさんに舞って、納めてもらう、てのはどうやろか」
会場、拍手。
古ゆう「緊張して参りました」
吉坊「えー、では、まず友五郎さんが、「十二月」を舞われまして、最後ですね、古ゆうさんに「浪花の四季」を舞って頂きます」
古ゆう「はい。不思議な御縁で……」

いやぁ、なんと粋な計らい。
これも、関西の良いところ、お尻の穴がユルんでいるような、おおらかな所が出た感じ。キュッと締まってたら、出ない。

友五郎「この「十二月」は、この時季になったら、いっつも誰かが稽古してた。その稽古を見て、覚えてしまう感じやったわ。
今日はもうサッと、一月、二月、十二月で」
吉坊「早いなぁ。
噺家の出囃子にも、「十二月」はあるんですが、正月出番の大トリだけが、使えるんです。
せやから、うちの米朝一門ですと、サンケイホールの正月興行では、米朝師匠が、この「十二月」で上がられてまして、スッゴい憧れがある曲です。

古ゆうさんは、「浪花の四季」ですね」
古ゆう「はい。私も、サッと。3分51秒です」

友五郎さんの「十二月」。

そして、古ゆうさんの「浪花の四季」。
扇の配色が、ぼんやり四段に分かれていて、上から青、銀、金、青。するりするりと、歌詞の合間を縫うように舞い分けていく。花火シューポン、おお冷べた。

感に堪えたように、友五郎さんが「後ろ姿が雄輝先生によう似てきた……」と仰有りながら、出てこられた。特にここが、と、うなじ、その首のラインを後ろを向いて、指で示される。

古ゆう「背格好が一緒ですので、着物も着られます」
吉坊「師匠に似てきた、と言われる事に、どう思われますか」
古ゆう「師匠に似ている、とは、若い頃はあまり感じなかったんですが、年々、似てきた、と言われるようになって、そのことを大事にしないといけないな、と思います。

若い時に、わての通りやれ、と言われましたから。わての通りやったら、自分の舞が出来る、と言われました」

友五郎「しかし、よう似てきたわ。特にこの、うなじの線」
古ゆう「クネクネするのは、色気じゃない。色気はうなじで出す、と言われました」

吉村雄輝『舞 序破急』より。

友五郎「うちは、性別が違ったから、似せよう、とは意識してはいなかったなぁ」
寿楽「似せようとは思ってなくても、同じ教科書でやってるから、似るんだと思う。
昔は、父に似てると言われたけど、最近は祖父に似てきた、て。父は今の自分の年まで生きてないから。
だから、古ゆうさんの似寄る、てのは、吉坊くんのパターンと同じかも知れない。こっちは、どうやって逃げよう、じゃないや、離れようか、でしょ。そっちは近寄ろうとしてるから……」

同じく、『舞 序破急』より。

結構、エエ時間になってしまいました。ちょっと鳥居さんに上がってもらって、今後のここの事を話してもらいましょう。
鳥居「ありがとうございます。皆さんがいらっしゃるここは、千日山弘昌寺という、お寺の本堂になります。本堂が無いと、宗教法人になれないので。下の千日亭、ここは引き続きやります。
で、今護摩を焚いてます所、あそこは実はズーと、仮店舗、ちゅうか、仮の場所なんですが、こちらに引っ越しましても、護摩を焚いてくれ、とミナミ警察署から言われましたので、焚きます。いろいろと、効果があるようです」
仮の護摩対ビル建設予定地。

鳥居「本堂にしますんで、ですから、先ほどの古ゆうさんで、舞踊に関しては終わりです。落語会は三月末まで、お芝居は四月に2回ほど、ありますので、また是非に。
ひょっとしたら、本堂で、奉納という形で舞って頂くかもしれませんが、御本尊が出来あがるんが、再来年なんで」
友五郎「鳥居さんが立ってたらエエやん」
んなアホな、と、またユルんだ所を、大阪締め、鳥居さん音頭取られて、夕5時20分、終演。

ヘンな表現かも知れないが、この一国一城の主が集まってワイワイやる感じが、大阪の、旦那衆は、こんなんやったのかな、と思う。
とにもかくにも、トリイホールは閉館してしまう。個人史として、中学くらいから行きだした場所が無くなる寂しさがある。

この柱、扇町ミュージアムスクエアの客席にあった柱と並んで、憎らしかった。

一定の役割を逐えた、として閉館するトリイホール。その役割を、今後担うのはどこだろう。ZAZA HOUSEか、シアターセブンか。このどちらかで、上方文化講座、続いたらなぁ。
なんにせよ、トリイホールさん、

なんべん押したか判らん位の指も合わせて、合掌。