見出し画像

アール・ブリュットとアウトサイダー・アート:雑誌記事に見る言葉の変遷

これまで「アール・ブリュット」と「アウトサイダー・アート」という言葉について長々と考察してきました。

結論として「アウトサイダー・アート」は最初は「アール・ブリュット」を紹介するための英語として考案されたものの、今では本来の(ジャン・デュビュッフェが定義した)アール・ブリュットを超えて広い範囲を意味する言葉となっている――ということですね。

そして、最初の記事で述べたように日本国内では当初「アウトサイダー・アート」が優勢でしたが、2000年代の後半あたりから徐々に「アール・ブリュット」が広く使われるようになっていきました。

今回は、美術雑誌の記事を時系列順に追いながら言葉の変遷をたどっていきたいと思います。

「芸術新潮」1993年12月号

この号では「現代美術をぶっ飛ばす!病める天才たち」と題した特集でアール・ブリュット作家たちが取り上げられています。この号が発売された当時は世田谷美術館で「パラレル・ヴィジョン 20世紀美術とアウトサイダー・アート」展が開催中。記載されている作家さんも、アドルフ・ヴェルフリ、オーギュスタン・ルサージュ、ヘンリー・ダーガーなど、この展覧会の出展作家さんが大半を占めています(全部かも…厳密には確認できていません)。

巻頭の言葉として

正規の美術教育も受けず、独学で、ときには精神を病みながら、ただひたすら絵を描き続ける"アウトサイダー"たち〈中略〉既成の美術観に毒され、社会的規範のなかに安住するわれわれの頭を転覆させる爆弾――それが”アウトサイダー・アート”なのだ!

「芸術新潮」1993年12月号 p.3

とあり、記事本文中でもほぼ「アウトサイダー・アート」と記載されています。ジュヌヴィエーヴ・ルーラン氏のインタビューだけは「アール・ブリュット」ですが、この方はアール・ブリュット・コレクションのキュレーターで、インタビューもフランス語だったと思われます。ルーラン氏の言葉として

デュビュッフェはそれらの作品をアール・ブリュット(の芸術)と名付けました。この概念は、彼がいわゆるアウトサイダー・アートを規定するためにつくり出した言葉です。

「芸術新潮」1993年12月号 p.54

とあり、「アール・ブリュット」と「アウトサイダー・アート」が等価で使われていることがわかります。

「美術手帖」2003年2月号

美術手帖 2003年2月

この号では「心のひみつ・アートの衝動」という特集が組まれています。ヘンリー・ダーガーとビリー・ミリガンが大きくフィーチャーされ、日本の「みずのき寮」などのアート活動にも言及。現在でもよく見かける林田嶺一、小幡正雄、小笹逸男などの名前もあります。

本文中ではやはり「アウトサイダー・アート」が優勢。服部正氏による「奇妙な近代主義者」には「アール・ブリュット」という言葉も登場しますが、それに続けて

アール・ブリュットの概念に修正を加え、みずからの著作で「アウトサイダー・アート」という語を世に知らしめた美術史家ロジャー・カーディナルの場合は〈後略〉

「美術手帖」2003年2月号 p.84

と記載され、ちょっと違うんだよ……ということもわかるようになっていますが、それほど重要な違いとは感じられません。

「芸術新潮」2005年11月号

この号の特集は「われら孤独な幻視者なり!アール・ブリュットの驚くべき世界」となっており、ここで初めて特集のタイトルとして「アール・ブリュット」という言葉が入りました。特集の中心はフランスのabcdギャラリーのオーナー、ブルノ・デシャルム氏と日本のキュレーター、小出由紀子氏との対談。そこで「アウトサイダー・アート」という言葉はデシャルム氏に「最悪」と切り捨てられています。

最悪。アール・ブリュットの作品には、文化との繋がりがちゃんとある。社会的には「アウトサイダー」でも、芸術と創造においては「インサイダー」なんだよ。つくり手が社会から排除された存在であることは事実でも、彼らの個人的な人生と作品を混同すべきじゃない。

「芸術新潮」2005年11月号 p.58 デシャルム氏の発言より

「美術手帖」2007年5月号

この号の特集は「ヘンリー・ダーガー」で、ダーガーの作品や生涯について詳しく紹介されています。ダーガー個人がメインで、アール・ブリュット/アウトサイダー・アートという文脈の中に位置づけるという扱いではなかったのですが、記事中の表記はほぼ「アウトサイダー・アート」です。「アール・ブリュット」という言葉は(見落としたのでなければ)固有名詞以外では出てきていないと思います。

「美術手帖」2009年7月号

この号では「『アートの常識』を超えろ!アウトサイダー・アートの愛し方」が特集されています。「美術手帖」は「アウトサイダー・アート」推しなのでしょうか。

ここで注目したいのは「アウトサイダー・アート」とともに「アール・ブリュット」についても説明があり、2003年の特集より少し強めに両者が区別されている点です。冒頭の方には次のような記述があります。ルビに漢字を使うって初めて見ました。

過去を遡れば、「アウトサイダー・アート」という言葉が生まれたのは、今から30数年前、1970年代のことでした。それは、「アール・ブリュット(なまの芸術)」という、フランスで生まれたある芸術理念を、英語で紹介するためのキャッチフレーズとして、登場しました。アール・ブリュットは、「文化によってけがされていないピュアな芸術」のこと。精神病患者や霊媒師の絵に見られるような、それぞれの作り手個人の内側から生まれる動機モチベーション独創性オリジナルな魅力を持つ表現に捧げられた賛辞でした。いわば、反文化アンチ・カルチャー”の理想による「アートの解放宣言」なのです。

「美術手帖」2009年7月号 p.19

また、小出由紀子氏へのインタビュー記事「アウトサイダー・アートを愛する方法」には、聞き手である編集部さんの言葉として次のようなものがあります。

――そこでもうひとつ確認ですが、アウトサイダー・アートとアール・ブリュットは、同一視されがちだけど、完全に同じものではないということですね。けれども、もとも前者は後者を紹介するために生まれた言葉であり、ふたつが重なる部分も大きく、現在も、アール・ブリュットはアウトサイダー・アートの中核にある。

「美術手帖」2009年7月号 p.50

この時点で両者がどのように区別されていたかがわかります。ただこの号の記事を読んでその区別が具体的に把握できるかというと、正直「???」という感じですね。取り上げられている作家さんも、ルサージュやダーガーをはじめ、従来の「アール・ブリュット」の中心的な作家さんが多いと思います。

ただし、特集の終わりの方では「アール・イマキュレ」(汚れのない芸術)について比較的大きく取り上げられており「アール・ブリュットとは決定的に違う」点が説明されています。「アール・イマキュレ」はダウン症の作家さんの作品に限るようです。この点については、後日もう少し詳しく紹介できればと思っています。

「美術手帖」2017年2月号

特集は「アウトサイダー・アート」で、副題的に「描かずには生きられない!境界線上の表現者たち」という文言があります。

巻頭に編集長からの「Editor's note」があります。この号はこれに尽きるかな……という印象があり、また必要な部分だけ抜き出すことができなかったので、全文を引用させていただきます。

今号は「アウトサイダー・アート」特集をお送りします。このテーマの特集は2009年7月号以来となる。そして、この7年のあいだに日本でのアウトサイダー・アートをめぐる状況は大きく変化した。
 ひとつは、2010年にパリで行われて好評を博し、その後日本に凱旋して全国各地を巡回した「アール・ブリュット・ジャポネ」展の成功が象徴するように、「アール・ブリュット」という言葉が、主に知的障害や発達障害など障害のある人が制作するアート作品を指すものとして広く用いられるようになったこと。これは、20世紀半ばにアール・ブリュットを提唱したフランスの美術家、ジャン・デュビュッフェの概念とは異なる、日本での特有の語用といえる。また、アール・ブリュットを英訳した「アウトサイダー・アート」は、アートワールドのインサイドとアウトサイドを峻別するものとして、避けられる傾向にある。
 そして、障害者自立支援法の施行と改正(2013年)、また2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催決定が追い風となり、障害者の自立のためのアート活動の推進が、国を挙げた課題として取り組まれている。これは、ノーマライゼーションという思想のもと、障害のあるなしにかかわらず同様の生活が送れるように環境を整えていくという動きに即したもので、才能のある表現者に対して、正当な評価やより多くの発表の場が用意される契機にもなるだろう。
 こうした前提のうえで、本特集を「アウトサイダー・アート」としたわけは、上記の流れがやや急速かもしれないという思いによる。ここでは、日本と海外での「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」などが生まれた背景と変遷を整理しながら、日本における「アール・ブリュット」という言葉でむしろ見えにくくなっているかもしれない、人間が表現することの尊さと不思議さにまで、「アウトサイダー・アート」という広い概念を援用することで、もう一度立ち返ってみたい。
 前口上はここまでにしよう。さあ、私たちのアート観を揺るがすような、アウトサイダー・アーティストたちによる創造の根源へ。

「美術手帖」2017年2月号 p.7

特集の内容は、ヴェルフリやアロイーズのような「古典的」な有名作家から名状しがたい変わったアート活動やネット上の「クソコラ」まで幅広い。幅広過ぎてちょっと混乱します。服部正氏による解説がQ&A形式なのも、何というか「系統だった説明をあきらめた」感があります。

ただし、時系列でまとめられた「アウトサイダー・アートの変遷」はわかりやすくて良かったと思います。

美術雑誌での扱われ方については以上です。

#アール・ブリュット #アウトサイダー・アート #美術手帖 #芸術新潮

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?