「エイブル・アート」について
過去数回にわたって「アール・ブリュット」と「アウトサイダー・アート」について書いてきました。
この分野のアート作品や活動を指す場合に使われる言葉として、最も多いのがこの2つであることは間違いないと思うのですが、それ以外にも「〇〇アート」という言葉がいくつかあります。
エイブル・アート、ポコラート、ソーシャル・アート、セルフトート・アート、アール・イマキュレ……似たような違うような言葉がいくつもあり「それって同じもの?違うもの?どう違うの?」など疑問に思うこともしばしば。
というわけで、今回は「エイブル・アート」という言葉について調べてみました。
これについては「エイブル・アート・ジャパン」というNPO法人があるので、そちらのサイトを見てみましょう。
上記サイトに次のような文章があります。
「エイブル・アート」という言葉は1995年、財団法人「たんぽぽの家」の理事長・播磨靖夫氏が考案した造語です。和製英語ですが「可能性の芸術」ですから、英語のable(~できる、する能力がある)に由来するはず。身体や精神の障がいを英語でdisabilityといいますが、それへのアンチテーゼなのだろうかと想像しています。
90年代、このdisabilityという言葉は否定的でよろしくないということで、challenged(挑戦する何かを与えられている)、differently talented(別種の才能を持つ)という新語が米国を中心に提唱されていたように記憶しています。
「エイブル・アート」という言葉だけを見ると、芸術作品や芸術運動の一分野を指すように見えます。実際、芸術活動は重要な部分を占めているわけですが、実は作品自体はそれほど重要ではありません。作品ではなく、障がいを持つアーティストが「作品を制作するための環境を整える」社会運動のための言葉なのですね。
この言葉が何を意味し、どのように使われてきたのか。90年代に誕生した当時から、ある程度の揺らぎを含んでいたようです。「エイブル・アート」はその名前を冠した団体があるわけですから、社会の変化やニーズに合わせて団体の活動内容が調整され、それに応じて言葉の意味が変わっていくのはむしろ当然だと思います。
1999年に東京都美術館で開催された「エイブル・アート'99 このアートで元気になる」展の図録を見てみましょう。チーフキュレーター、服部正氏の次のような解説があります。
ここでは作品と鑑賞者の関係が強調されていますが、服部氏がその数年後に出版した『アウトサイダー・アート 現代美術が忘れた「芸術」』では事情がちょっと変わっています。服部氏はアート・システムに対する働きかけを狙って「このアートで元気になる」という副題を付けたようですが……。
作品ではなく作り手や制作環境に寄った言葉であるとのこと。「エイブル・アート」は「障害者アート」や「アール・ブリュット」の言い換えではないし「これはエイブル・アート、こちらはアール・ブリュット」と作品を分類するための言葉でもないわけです。
しかし、たとえば「エイブル・アート展」と題された展覧会があったとして、そこに行けばどういう作品が見られるのか?という点は鑑賞者としてやはり気になるところです。
1999年の展覧会カタログを見ると、出典作家には小幡正雄、山際正巳、芝田貴子、坂上チユキなど、現在も「アール・ブリュット」展でよく見かける名前が多く含まれており、作品傾向として何か特徴があるというわけではないですね。鑑賞者としては「アール・ブリュット」と同じように見に行けば良いと思います。
ところで、「エイブル・アート」という言葉を考案した播磨靖夫氏は、今年の10月に82歳で亡くなられたばかりです。その播磨氏の活動をまとめた『人と人のあいだを生きる:最終講義エイブル・アート・ムーブメント』という本が来年の1月に出版されるようです。Amazonでは現在予約受付中。
参考文献
『エイブル・アート'99 このアートで元気になる』
服部正『アウトサイダー・アート 現代美術が忘れた「芸術」』
#アウトサイダー・アート #アール・ブリュット #エイブル・アート #障がい者アート