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上井一輝の大学part4

⑤就職活動で直面する現実、そして就職へ

書類審査を入れると、受けた数は100社程度になったと思います。だいぶ盛っているかもしれませんが、感覚としてはそれくらいです(笑)
その内、内定をいただいたのは2社。一方は、障害者雇用。もう一方は、1つ職種をあげてくださり、一般職としての採用でした。いずれも、障害者雇用の合同説明会や障害者雇用の採用試験からです。

就職試験でぶち当たる壁

①グループ面接
面接官の距離も遠く、何を喋っているのかわからない状態でした。聞き返しても、理解できず、最後には隣の人に聞いて、受け答えしていました。聞こえなかったら面接官の真ん前まで行き、応答をするなど創意工夫してやってみればよかったと今ならば思います。しかし、当時の私は、この状況を跳ね除ける能力と思考はまったくなく、やればやるほど、自分はこんなこともできなくなったのかと落ち込んでいく有様でした。加えて、通常の面接でも聞き取りが難しくなっており、一層凹みました。
何回も面接試験を重ね、もう普通のところでは無理だと感じるところまで打ちのめされました。
そして、ようやく初めて、障害者雇用の就職サイトに登録し、合同説明会へ足を運びます。

②障害者雇用の合同企業説明会
会場に入った時、カルチャーショックといってもいいほどの衝撃を受けました。杖をついている、手話で話している、補聴器をつけている、車椅子での移動等初めて見る光景に絶句。もう今までのところにはいれないのか……と、少しの間呆然としました。
お前何様だよと憤りを感じると思いますが、当時の私の率直な感想ですのでご容赦ください。それ程、かけ離れた世界だったのです。
会場の受験者の誰1人とも話すことができませんでした。数10社回って帰路につきます。
それでも少し経って改めて考えると、自分を障害者だと理解するのにこれ程良い場はありませんでした。これを機に耳が悪いということは障害というよりも、特徴なんだという風にも捉えることが出来るようになります。

就職へ

上の障害者雇用の合同企業説明会から発展し、内定をいただいた東京都の企業に進路を決めます。

なぜ県外の会社にしたのか?
①自分が聴覚障害者であることを知っている人がいない土地で、一から人間関係を構築したかったから。独力で現状を打開し得る対応方法を身につけたかったから。

②生活の全てを1人でやってみたかったから。
1人暮らしでも生きていける生活能力を身につけたかったから。

③県外はどういうところなのか、実際に住んで感じたかったから。

実際に、今に至るまで、①〜③の力を身につけたかはわかりませんが、県外に出ることによって、素晴らしい人たちとの出会いがあり、素晴らしい時間を過ごすことができています。

もちろん、県内でも関係を築いていた人たちに加えて新しく接するようになった人もおり、内外で素晴らしい人たちに支えられています。

まだまだ社会人生活の事や普通に暮らすと夢に綴った事を書きたいですが、今回はこの辺りで。

最後まで読んだいただき、ありがとうございます!