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中央アジアの超絶美味たち――アメリカのはるか彼方で

ユーラシア大陸横断の旅

13年前、パリに1年間滞在していた時、私は国内外、旅を重ねた。国外は、前述のように、オランダ、スイス、そしてベルギー、ドイツなど。滞在終了間際には、インドにも3週間ほど旅をした。

だが、最大かつ最も波乱に満ちた旅は、やはりパリから上海までの陸路での横断であろう。

私は、幼い時から、日本地図・世界地図を眺めるともなく眺めるのが好きだった。特に、地図を眺めながら「辺境」にはいったい何があるのだろう、どんな人たちがどんな生活をしているのだろうと、想像をめぐらすのが好きだった。日本地図では、樺太(当時はそういう表記だった)や対馬や知床半島。世界地図では、グリーンランドやカナダの北部、そして何よりもユーラシア大陸の真ん中あたり、都市や町もまばらで、鉄道網も途絶していたり、氷河や砂漠に覆われていたり…。少年の「ロマン」を否が応でも刺激する、それらは謎に包まれた「空白」地帯だった。

今回、パリに1年滞在する前から、私は漠然とユーラシア大陸を横断してみたい欲望に駆られていた。それが少年時代からの「夢」の一つであり、(すでに50歳を迎えんとしていたが)この機を逃すとおそらく一生機会は訪れないだろうという気がしていた。

そして、いよいよパリに暮らし始めてから、その「機」がどんどん熟していき、ついに断行する意を固め、必要な装備を買い求め、旅程を組み立て、各国の入国ビザを取りに奔走した。

ガイドブックを見比べながらいくつかコースを考えたが、身の安全を第一に、コースを綿密に計画立てた。まずパリからイスタンブールまで二泊三日夜行列車を乗り継ぎ、何週間かトルコ国内をめぐった後、グルジア(今は「ジョージア」と呼ばれる)、アゼルバイジャン、(カスピ海を船で渡り)カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、中国。そして上海から東京というルートを考えた。基本全て陸路(たまには水路)、すなわち鉄道かバスか(乗合)タクシーか徒歩。(結局、ちょうどトルコをめぐっていた時、ロシアがグルジアを侵攻したため、入国できなくなり、トルコからアゼルバイジャンまでは空路となった。)

2ヶ月余りをかけ、無事、どころか、波乱の連続だったが、なんとかパリから上海までユーラシア大陸を横断した。

旅の途上、実にさまざまな、予期せぬことだらけであったが、数ある収穫のうち最大の収穫の一つは、やはりユーラシア大陸の大きさを肌身で実感したことだろう。幼い頃から地図上で想像をめぐらすしかなかった、大「空白」地帯。そこにも、人々は暮らし、車は走り、携帯もつながり、しかし、予想だにしなかった発見、体験も数多くした。地図で何度となく見た世界最大の湖「カスピ海」でまさか自分が泳ごうとは、そこまでの旅の最中でさえ全く予期しなかった。

食の衝撃

食における発見、驚きも、予想をはるかに超える位相で数多くあった。それらを網羅していると、何十ページも必要としてしまうので、その中でも特に印象の残る、今でも強烈な衝撃とともに甦るいくつかの出来事だけ、ご紹介しよう。

カザフスタン最大の都市、アルマトゥ。文字通り、ユーラシア大陸のど真ん中に位置する。そのせいか、大陸のはじからはじまで、北欧からはては日本までの、あらゆる「血」が何万年、いや何十万年と混じり合い、ありとあらゆる組み合わせ、混淆が、人々の容姿からだけでも伺える。モンゴル系のある人たちは「韓国人」や「中国人」以上に、日本の街角にいそうな「日本人」にそっくりだ。そうかと思うと、透明に近いブロンドの女性たちもいる。遺伝子的交配のおかげなのか、かなり美形の男女が多い。モンゴル系の顔立ちの人たちも、メリハリの利いた体形をしている。

食もまた、同様だ。私は、文房具などを買いに街に出た。そしてたまたまかなり大規模なスーパーに出会った。入ってみると、予想以上に(この旅で最も)「高級な」品揃えとディスプレイだ。さしずめ大型の「成城石井」といった風情である。

それにしても、食料品、特に酒類、惣菜などが「大陸」的に豊か、それこそ「ユーラシア」の食文化の展示場のようだった。ビール売り場は圧巻だ。ユーラシア大陸を横断するかのように、巨大な棚は、左からポルトガルに始まり、各国のさまざまなビールが東西の順に整然と並べられ、右端は「スーパードライ」で終わる。隣にはチョーヤの梅酒まである。惣菜も、日本の寿司、韓国の味付け海苔から饅頭(ここらでは「マントゥ」というらしい)を経由して、北欧風のニシンのマリネまである。私は、迷った挙句、北欧風ニシンのマリネ、ハンバーグのようなもの、韓国風春雨サラダのようなもの、とパンを買う。

スーパーを出て、しばらく歩くと、交差点でなぜか日本語で「高崎ハム」と書いたトラックが止まっている、というオチまでついた。

翌日は、中央バザールに行ってみる。ここもまた、「成城石井」とは別な意味で圧巻である。今まで世界中でいろんな市場を見てきたが、これは三本の指に入るだろう。たとえば、馬肉コーナーなら、馬肉売りが店頭に馬の部位をぶら下げ、その同じような陳列=店が何軒も続いている。買う人はどうやって選ぶのだろうかと思うほど。プレゼンテーションの仕方もどの店もほとんど同じ。肉、野菜、果物から始まって(魚は、やはりユーラシア大陸のど真ん中のせいかスモークか塩漬けしかなかった)、スパイス売り、朝鮮漬物店(だけでも30~40軒)。その青果市場を、雑貨市場が取り囲む。いろいろと買いたい欲望に駆られるが、買っても食べきれないのと、ホテルから遠いので、諦めざるをえなかった。

食材の驚異的な質

それにしても、中央アジアの食材は驚異的だ。フランスのそれも、当時の日本に比べれば、肉、野菜、果物ともに、はるかに風味が濃く「健康的」なものが多かったが、ここの肉、野菜、果物の味、「健康さ」は、フランスのそれをさらにはるかに凌ぐ。

宿泊したホテルの目の前に、小ぢんまりしたバザールがあったが、その前の路上では、生産者らしき人たちが素朴な風情で自分たちの作った野菜や果物を売っている。私は試しに、あるうら若き男性からイチゴを500グラム買ってみた。大小不揃いだが真っ赤なイチゴを紙袋に無造作に入れてくれる。ホテルは、通りを渡ってすぐなのだが、部屋に着くまでに袋の中身の下半分が自重で潰れて、果汁が滴っている…!それほどまでに完熟なのだ!その一つを口に入れた瞬間、今まで味わったことのない濃度と甘みに全身が打ち震えた。太陽のエネルギーと大地のミネラルがものの見事に凝縮された、まさに「奇跡のイチゴ」だった!(ニューヨークのデリやスーパーで売っている「イチゴ」など、もしアルマトゥの人たちが口に入れたら即座に吐き出すだろう! ちなみにアルマトゥは「リンゴの里」という意味らしい。)

あるいは、隣国ウズベキスタンの、世界遺産にもなっているサマルカンド。そのバザールやレストランでも、食材の濃厚さに見舞われたが、なかでも最も鮮烈な衝撃を被ったのが、宿泊したB&Bの朝食だった。ここらあたりの「パン」は、インド同様「ナン」というが、直径30センチくらいの円形で、かなりの厚みがあり、それがいたるところで売られている。B&Bの朝食でも、もちろん、それが出たが、インドのナンとちがい、ナポリのピザ生地のもちもち感をさらにもちもちにしたような粘り気に、これまた太陽のエネルギーと大地のミネラルをたっぷり吸い込んだ小麦の濃厚な味が口いっぱいに広がり、しかも爽やかにクミンまで香る。今まで世界中で食べた、小麦粉を発酵させて焼いたもののうちで、まさに「最高峰」である。これまた見事な甘味の手作りのイチゴジャムが添えられているが、それさえ全く必要のないほど、これ自身で「完結した」美味しさのナン=パンである。(これに匹敵する「完結さ」は、新潟は五泉市で祖父が作っていた新米くらいであろう。それもまた、おかずが全く必要のない、それ自体で「完璧な」食べ物だった。)それに、目玉焼き! こんな目玉焼き=卵も今まで食べたことがない。塩さえ全く必要のない、こちらも「完結した」、「自立した」味だ。「調理」する必要さえない、食材自体が完璧に「立っている」!

あるいは、ウズベキスタンの首都、タシケント。宿の近くに屋台が多く出ていたが、たまたま入った一軒で、注文したピラフ! 中央アジアでは、よく油で炒めた米、すなわちピラフ(タシケントでは「プロフ」というが)をよく食べるのだが、隣席の人が食べていたピラフの様子に興味を強く引かれ、(言葉が通じないので)指差しながら同じものをくれと店員さんに頼んだ。目の前に運ばれてきたものは、なんといっさい具のない素(す)のピラフ!それだけでも驚きだが(同様な驚きは、イタリアでやはり隣席の男性二人組が美味しそうに食べていたトッピングのない素のピザを見た時以来だ)、それを一口、口に入れた途端、先のナン同様の衝撃に襲われる。炒め加減といい、味加減といい(おそらく油と塩だけ)、ほぐれ具合といい、もちろん米自体の旨みといい、油で炒めた米ではこれ以上ありえないほどの、やはり「完璧な」フライドライスであった。

食の「アイデンティティ」とは?

加えて、また別な屋台で食べたいくつかの麺料理。それらはまさに、人種の混淆同様、ユーラシア大陸の端から端までの食(麺)文化が、何万年、何十万年と混淆した結果、とりあえず21世紀の今、ここタシケントでとっている姿形なのであろう。

これまたホテル近くの、屋台風の店。写真と値段が壁に貼ってあるので、注文もしやすい。これまで食べようと思っていたが、なかなか出会えなかった念願の麺料理「ラグマン」を頼む。予想より汁が少なく、ソースが多めのパスタという風情だが、麺は明らかに日本の「うどん」そのもの。「うどん」という麺のルーツはここにあるのか、と思うほど(実際そうかもしれない)「うどん」である。ソース=汁はしかし、トマト味! つまり「ラグマン」は、日本からイタリアまでの麺料理が、この皿一点に凝縮されたようで、眩暈すら覚える。いや、逆に、「ラグマン」こそ、「パスタ」や「うどん」のルーツなのかもしれない。古に、ここらあたりから、シルクロードを通って、ユーラシアの西の端でいつしか「パスタ」になり、東の端で「うどん」になっただけなのかもしれない。

翌日は、同じ店=屋台で、写真では焼きそば風に映っているものを注文する。出てきてびっくり、何と「つけ麺」そのものなのだ! スープは鶏だしが効いていて絶品。比して、麺は残念ながら少し延び気味で今一つ。でも、このスープに日本のちぢれ麺を入れたら、さぞ絶品の「ラーメン」になること、請け合いである。

これら絶品の料理を食しながら、ふと思う。いったい食の「アイデンティティ」とは何だろう? 例えば、「パスタ」や「ピザ」は今やイタリア料理の(国内外ともに)アイデンティティを構成する重要なアイテムだが、その由来はおそらくこのあたりだろうし(しかもイタリアに普及したのは中世以降のことだという)、今や少なくとも「外国人」から見て「日本料理」の代名詞の一つである「天ぷら」も、もちろんポルトガル由来だし。日本の「うどん」も、もしかすると、本当にこのラグマンがルーツなのかもしれないし…。

生の素材は、流通が発達していない時代にあってはほとんどが地産地消であったろうが、それを調理する調味料・香辛料や技術は外来でありうる。また、実は素材にしても、原産は外来であったりすることが多い。有名な例では、今やヨーロッパの食材の基本中の基本であるトマトやジャガイモでさえ、新大陸発見によりもたらされたものだという。

そうしてみると、食的「アイデンティティ」は須らく相対化され根拠がないように思えるが、かといって、ある国、ある地方に行った時、食の“特異性”を感じることも事実ではないか。その“特異性”は地産の素材に負うことが多いものの、それを調理する調味料、そして技術にも多くを負っているのではないか。地産素材の独特のクオリティとそれを調理する技術の妙が相俟って、その地の食の“特異性”を形成しているのではないか。

カザフスタンやウズベキスタンにいると、ややもすると自分がすでに見知っていた国の食の「アイデンティティ」を形成しているものの変奏ないしアレンジにしか映らない料理が、実はそんなことはなく、「アイデンティティ」と思えるものさえも元々は“特異性”の一つにすぎなく、その「変奏」や「アレンジ」に見えるものもまたそれ自体が一つの立派な“特異性”なのではないだろうか。

一見日本の「うどん」とイタリアの「パスタ」のアレンジにしか見えなかったラグマンも、従ってこの地に特有な“特異性”なのであり、もしかするとそれどころか日本やイタリアに中国から麺文化が伝わるずっと以前からこの地ではこうした麺料理を食べていた可能性だってあるのだ。ラグマンを食べて覚えた眩暈は、もしかすると自分がこれまで抱懐していた食の「アイデンティティ」にかんする遠近法が、突如崩壊したからかもしれない。

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