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はたらく力を誇りとし
はたらく力を誇りとし
自分のハタラキが自分にとっても
ほかの人々にとっても
よろこびであることを願う
ように成長してください
この言葉は中学の先生から卒業のときに贈られた言葉である。
40年近く前の言葉が出てきた経緯は2年前アメブロに書いた。
いまだにこの言葉の意味がわからずにいる。
先生がこの言葉を書いたのは、いまのわたしと似たような年齢だった。
わたしは間違いなく、はたらく力を誇りとしている。
その力は自分だけで得たものではなく、親、先輩や上司、様々な環境が与えてくれたもので、そのどれもに感謝している。
自分のハタラキが自分にとって喜びであることも感じている。たまにはハタラキが喜びに直結していないと感じるときもあるが、自分のハタラキが自分にとって怒りや悲しみになることはない。
しかし、後半のフレーズがわたしには実感できていない。理解できていないのだと思う。
自分のハタラキが自分にとっても ほかの人々にとっても よろこびであることを願う
自分のハタラキがほかの人々のためになっているように願うことだろうか?
数学者は解けない問題を持っていて、時々羨ましくなる。
わたしは数学者ではないが、先生から人生の宿題をもらったように思う。
こうしてここに書くことが
だれかのよろこびになりますように。
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