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部下なし管理職の何が問題なのか
部下なしの係長を名ばかり管理職と呼び、仕事が評価されても男性同等には昇格しない構造を指摘しているのがこの記事。
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190709/k00/00m/010/070000c
中国電力社員の訴えを事例にしつつも、あたかも日本企業における女性管理職全般の現状であるかのように示している。
部下なしの管理職が増えているのは、女性だけではない。記者はそれをどのように考えているのだろうか。
部下となる社員はいなくても、パートナー企業などと一緒にプロジェクトを組んでいる例もある。
管理職がプレイヤーに近づき、同化・兼務している例も多い。
ビジネス環境の変化が速く、技術の発達により、案件は小規模化および短納期化している。
組織またはプロジェクトは小さく、その数も増えている。
管理項目は細かくなり、セキュリティ強化され、働き方改革で労働時間に余裕はなくなり、多様な部下への個別対応も迫られる。
迅速、丁寧、多重化した管理職の役割を考えると、部下なし管理職が増えるのを一概に否定できない。
そんな中で、女性管理職を増やした結果、女性が部下なし管理職として管理職キャリアをスタートするのが絶対的な問題だと指摘されることに違和感を持った。
なにより、その役割を全うしている女性が読んで、自分が責められているように感じるような記事は、女性の自己肯定感を下げることにもなる。
この感覚は、大切にしたい。
女性を応援するつもりの記事が、別の女性を傷つけること。
男女ともに抱えている問題を、女性の姿に投影して女性の問題にすること。
この記事に書かれている内容は、納得できる事象もあるし、同意することも多くあるのだが、どうにも表現に違和感を持つのだ。
一体、この感覚は何なのだろうか。
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