【読書往来】ローレンス・ライト『ベッドの文化史』
▼大型の新刊書店に、ここ数年でアウトレット本の売り場が増えた。神保町の東京堂書店3階で、ローレンス・ライト『ベッドの文化史 寝室・寝具の歴史から眠れぬ夜の過ごしかたまで』(八坂書房、2002年、別宮貞徳他訳、原著は1962年)という定価3200円の本が、3分の1ほどの値段で売っていた。
▼「ベッド」に関するありとありゆる雑学を詰め込んだ本。全57章のうち、〈ベッドは眠り、愛を交わし、子どもを産み、死んでいく場所だが、そこではほかにも様々な営みが行なわれていた。ちょっとした書きものからパン作り、乳搾りといった変わったことまで内容は多岐にわたる。〉という書き出しで始まる「34 ベッドの変わった使い方」という章から、書きもの関連の箇所を抜き書きしておこう。
〈ベッドで執筆していたのは、キケロ、ホラティウス、大プリニウス、小プリニウス、ミルトン(このどこか校長先生を思わせる老いた盲目の詩人は、アダムとイブとエデンの園を描いたみごとな詩物語の大部分をベッドの中で「書き」、そこから「時間にかまわず鈴を鳴らして娘を呼び、必要なことはすべてみたした」)、スウィフト(枕もとの火で明かりを取った)、ルソー、ヴォルテール(身支度を整えながらも口述筆記をさせている印象的な肖像画がある)、グレイ、ポープ、トロロープ、マーク・トウェイン、スティーブンソン、プルースト、ウィンストン・チャーチル、そしてイーディス・シットウェル(「でもこれは」と記者に事実をもらした家政婦が言う、「内緒の話なんです」)。ホッグの『シェリー伝』は、「気難しく愚かでずるい田舎町の銀行家」がシェリーに語った話として、ワーズワースが詩の多くを真っ暗な部屋のベッドで書いたと伝えている。さらにその銀行家は「何人であろうとも暗闇で詩を書ける人間はまちがいなく生まれながらの真の詩人だ」と続ける。この話を聞いたシェリーは自分でも試したみたが、きまって鉛筆や用紙、時にはその両方の行方がわからなくなった。おまけに書いた文字は判読不能。(行間をたっぷり取れば実際にできないことではない。ダンの『時の実験』の支持者は、見た夢をすぐに、はっきり目覚めていない状態で記録したいと思っているだろうから、この方法をお勧めする。)ある盲目のオーストラリア人ジャーナリストがロンドンの放送番組で、ハンディキャップの恩恵をこう話していた。「冬、ふとんにぬくぬくとくるまり、気楽に点字本が読めること」。(中略)ダヴィンチは昼間の習作をベッドで(なんとも奇妙な同衾者)作り直すのが好きだった。哲学者ホッブズはよく自分の太もも、あるいはシーツの上に幾何の問題を描き……〉(266頁ー277頁)
キリがないのここらへんにしておこうと思ったが、画家や作曲家のベッド話も面白いので少し引用しておく。
〈画家ではファンタン=ラトゥールがオーバーにマフラー、シルクハットといういでたちでベッドの上で絵を描いていた。ホイッスラーがその様子を絵にしていることでそれと知れる。G・K・チェスタトンは自身なかなかの素描家だったが、天井に届くような長い色鉛筆がありさえすれば、ベッドに寝ていることは申し分のない最高の体験になるだろうと言っている。晩年を寝たきりで過ごしたマチスもこの喜びを手に入れた。木炭を結びつけた長い棒を使い、ベッドに居ながらにして壁に絵を描いたのである。ウィリアム・モリスは寝室に機織機(はたおりき)を据え付けた。(中略)グリンカはベッドで作曲した。ロッシーニも同様で、本当にベッドの中が好きだった。彼は二重唱曲のソプラノパートを書き終えたと思ったそのとき、譜面を手の届かないところに落としてしまう。その曲が歌われるオペラはほかならぬその日の初演の予定だったが、ロッシーニは譜面を取りにベッドを出る不幸に立ち向かうことができず、それより楽な策に出た。どう書いたか思い出せないので、全く新しい二重唱曲を作ってしまった。〉(278頁ー279頁)
こうした調子で、「人生の三分の一を過ごすための場所」にまつわる歴史と挿話がたっぷり詰め込まれている。
(2016年3月21日 更新)