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「うわさ」と「インフォデミック」との違いを考える(2)
▼松田美佐氏は、ここ20年のインターネットの歴史と特徴を、たった3つの文章で要約してくれている。適宜改行と太字。
〈草創期、公共圏形成の可能性を持つものとして期待されたネットは、2000年代に入り、社会の分断化の原因とも、促進要因ともみなされるようになる。
なぜなら、ネット上では自分が好む情報ばかりを入手する傾向があるだけでなく、同じような考えを持つ人が集まりがちで、その集団の中では極端な考えが生まれ広がるからだ。
このようなネット上で生じる社会の分断化を捉える枠組みは、サイバーカスケード、エコーチェンバー、フィルターバブルなど、いくつも提示されている。〉(58頁)
▼サイバーカスケードも、エコーチェンバーも、フィルターバブルも、どれもじっくり考える必要のある言葉ばかりだ。
▼これらの現象について、多くの人に「マジでヤバくね?」と思わせたのが、今から4年前、2016年秋、アメリカのトランプ大統領誕生だった。
トランプ支持の人々が、荒唐無稽(こうとうむけい)の極みのフェイクニュースーーたとえば、ローマ教皇がトランプ支持、といったデマーーを信じている時、〈事実ではないという客観的証拠をいくら示しても、効果がなかった〉(58頁)のだ。
その人々が、悪人だということではなく、よき父であり、よき母であり、よき社会人であり、よき息子、娘である。
▼ここらへんが、「インフォデミック」のポイントだと松田氏は指摘する。
▼「インフォデミック」とは、ネットにあふれかえる「ニュース」は玉石混淆(ぎょくせきこんこう)だから、正しい情報が「見つけにくい」、ということだけではなく、
〈何が「信頼できる情報」なのか、それ自体が争われるような事態〉
であり、
〈「信頼できる情報」に対する不信感が増大する状況〉
であり、
〈必要な情報が届かないのではなく、届いたとしても、一部の人々には信頼されないという問題なのだ〉
という。要するにインフォデミックとは、「この社会に信頼がなくなり、不信が広がる」事態を指すわけだ。
と、簡単に書いたが、これは極めて深刻だ。
▼松田氏は、先行きが見通せない状況で〈必要なのは、「収束しない」ことを前提に「インフォデミック」とつき合っていくことだ。〉という。
そして、その〈つき合い方〉を4つ提案する。
それは、とても「常識的」なもので、突飛なものではない。
今号では前半の2つを紹介する。後半に、最も重要な「あいまいさへの耐性」の話が出てくる。
(1)まず、各国政府や行政機関、WHOを始めとする専門機関は、正確な情報をすみやかに隠さず公表する必要がある。
▼ここでは2つのポイントがある。
1つは、政府や行政やWHOの発信はとても重要であり、「信頼」を生み出す機能がある、ということだ。
2つは、そうした信頼を担保するためにも、公的機関は情報公開に誠実に対応しなければならない。
▼次の提案。
(2)マスメディアやネットメディアを含むジャーナリズムには、正確な情報のすみやかな報道や、理解が難しい医学・科学情報の解説記事、さまざまな情報のファクトチェックを期待したい。
▼ここで大事な指摘は、いい記事を「褒めるべきだ」というところだ。
〈読者・視聴者側も、否定的な批判だけでなく、よい報道や記事などがあれば積極的に「褒める」べきであろう。マスメディアもネットメディアも、未曽有の事態にどのような報道が必要なのか、手探りにならざるを得ない。積極的に声を伝え、支持/不支持を示すことは、長期的には、メディアによる適切な情報の提供を促すことにつながるはずだ。〉
筆者も同意見である。気の長い話ではあるが、気の長い話であることが、それをやらないという理由にはならない。
▼悪口をいう批評は簡単だ。なぜなら、悪口を言っても、言った人は成長しないからだと思う。こちらから対象に登っていくような批評でないと、書くほうも、読むほうも、時間を無駄にするし、それだけではなく、貴重な人生に害悪をこうむる。
害悪はご免こうむる、しかしネットとはつき合っていかざるを得ない、とはいえ、受け身なだけでは物足りない、ではどうするか、と考えたときに、「ああ、これはいい記事だな」と思ったものは、ほめる、という道がある。
上記の文脈でいうと、支持する、ということだ。不支持を示す、というのも、価値的だが、個人的には、どちらを選ぶかとなると、ほめるほうを選ぶ。不支持のメモは、支持するメモと比べて、時間がもったいないと感じるので、筆者はあまりやらない。これは好みの問題だろう。もっぱら、いいと思った記事について備忘録をつくる、というかたちで、この「圏外の記録」をメモしている。
簡単だけど、自分で考えなければいけなくて、ということは自分にとって価値的で、しかも他人と共有したければ、共有できる。ネットがなければまずできないことだ。
(つづく)
(2020年6月21日)