検察はたくさんの冤罪(えんざい)をでっちあげてきた件(3)
▼村木厚子氏は、裁判で無罪をかちとり、冤罪を証明した後、元検事総長、つまり検察の最高幹部だった人から、「ありがとう」と言われたそうだ。
中日新聞編集委員の秦融氏がまとめた、新人記者むけの「記者読本」特集の一文から。「新聞研究」2020年3月号。
〈厚労省に復帰した村木さんは、検察改革などに関係する法務省の委員を務め、その際に複数の元検事総長に会い、「ありがとう」と言われたという。「事件直後に会った2人は最初のせりふが『ありがとう』でした。『ありがとう』『中からは変えられなかった』と。『ありがとう』は本当に印象的でしたね」。〉
▼このくだりには驚いた。検察の〈強固な上意下達の組織でありながら、不正な捜査手法をトップダウンで改めることができない実態〉が象徴的に示された話だ。
▼しかし、秦氏の「記者読本」は、ここで終わらない。
〈村木さんは「でも、検察のこと笑えないですよね」とマスコミにも批判の矛先を向けた。
「私の事件ではずっと検察に言われたままの情報を流し続けていました。ずっとです。保釈され、私への逆取材が始まった時期は各社バラバラ。ところが、報道の論調が180度変わるのは、ある日突然、全社一斉です。それぞれの新聞社やテレビ局が単独で変える勇気なんかない、ということです」。そんな状況を村木さんは「検察への完璧な迎合」と評した。〉
▼村木氏は、冤罪についての取材を受けてこなかったが、西山美香氏の冤罪事件を知り、「障害のある方が被害者になったと聞かされたので」、中日新聞の取材を受けたという。なぜなら、西山氏の冤罪事件を追いかけたのが、中日新聞だったからだ。
▼西山氏が巻き込まれた「呼吸器事件」は、村木氏の「郵便不正事件」より、さらに知られていないと思うので、これもまとめ記事を引用しておく。
〈【呼吸器事件】2003年、滋賀県内の病院で植物状態の男性患者(72)が死亡。翌年、取り調べでうつ状態になった看護助手の西山美香さん(当時24)が「人工呼吸器を外した」と虚偽自白し、県警が殺人容疑で逮捕。裁判で無罪を訴えたが有罪が確定した。出所後の17年12月、第2次再審請求審で大阪高裁が「自白誘導の疑い」「自然死の可能性」を認め、再審開始決定。検察が有罪立証を断念〉したという事件だ。
▼秦氏は、西山美香氏は冤罪ではないか、という問題提起を、中日新聞の大型コラムに掲載する。それは、〈「刑事が好きになって自白した」などの言動から、西山さんには発達障害があるのではないか、との印象を持った〉ことがきっかけだった。
このとき、西山氏はすでに刑が確定し、まだ和歌山刑務所の中にいるのだが、2人の記者とともに慎重に取材を重ね、再審を求める論調を打ち出した。2017年のことだ。
この記事は、西山氏が現実に再審無罪をかちとるきっかけになった。
少なくとも、西山氏の事件をめぐって、日本のマスメディアは、「検察への完璧な迎合」を免れたわけだ。
▼ここから、筆者は二つのことを考える。
▼ひとつは、マスコミを「マスゴミ」とひとくくりにして貶(けな)し、何ごとかを言った気分に浸る人がいるが、そういう態度を筆者は嫌う。なぜなら、それは間違った認識に基づいた間違った評価だからだ。そうした言葉を口にしたり、スマホで書き込んだりして、悦に入(い)っている本人以外、誰も得をしない、人生の無駄づかいだからだ。
▼もうひとつは、マスメディアは腐っていると言わざるを得ない現実がある、ということだ。
村木氏の巻き込まれた冤罪事件にかぎらず、「検察への完璧な迎合」は多い。記憶に新しいところでは、日産のゴーン氏の事件もそうだ。
検察がらみでなくとも、マスメディアが、資本主義の原理や同調圧力と、もう少し上手につきあえる人々の集まりであれば、これまで人生をつぶされた人の数は、もっと少なかっただろう。
▼すべてのメディアが完璧な迎合を示している時、「これって、じつはちょっと違うんじゃないの?」と口にすることすら憚(はばか)られる場合がある。
しかも、そうした小さな声が、間違っている場合もある。
しかし、マスメディアから、迎合しない態度が消え去れば、その場所からは、人間のための「言葉」も消え去る。そして「組織」のための言葉だけが残るだろう。
それは、「国」や「会社」や「大学」などなど、法人のためだけの言葉である場合もあれば、検察のようなきわめて強力な権力組織のためだけの言葉である場合もあれば、発信者である「マスメディア」という法人のためだけの言葉である場合もある。
いずれも、「人間」のための言葉ではない。
これは、その記者がいい学校を出たとか、頭がいいとか、これまでいい仕事をしてきたとか、給料のいい職場にいるとか、そういう人生の泡沫(うたかた)とはまったく関係のない出来事だ。
目の前の「今」と「未来」に、どういう態度をとるか、という領分の話である。
泡沫がすべてはじけ飛び、風で吹き払われた後に残るもの。つまり、その記者が死ぬ直前、心に訪れるもの。それは何だろう。それは、関わった案件によって、さまざまな表現がありうる。
そこに触れた言葉を読みたいし、共有したいと考える。
(2020年7月11日)