「ゲノム編集ベビー」の警告

▼2018年の11月、中国・南方科学技術大学の賀建奎(がけんけい)という学者が「ゲノム編集で双子を誕生させた」と発表したことが世の中を騒がせている。

本当なのかどうかわからない。ゲノム編集技術の世界に革命を起こした「クリスパー・キャス9」(CRISPR-Cas9)による遺伝子編集がされた、生まれた赤ちゃんは感染症にかからない、ということなのだが、証拠が未だに出されていない。 

▼2018年12月1日付毎日新聞の青野由利専門編集委員の記事が興味深かった。

簡単に振り返ると、クローン羊が生まれたのは1996年。「クローン人間」が生まれるぞ、という医者が現れて騒ぎになったのが2002年。そして2018年に「ゲノム編集ベビー」である。

青野氏は最初、〈なんだか既視感がある。そう思って、「ああ、クローンベビーの話と似ているのか」と思い当たった〉という。

〈でも、重要なのは両者の違いかもしれない。クローンベビーは大方の人が取りあわなかった。ところが、今回の双子について専門家に次々たずねても、「ウソに決まってる」と言った人はいない。会場で発表を聞いた人も同じ。まさかと思っても、否定しきれない。なぜなら、技術的に困難なクローン人間と違い、ゲノム編集ベビーはその気になればできるからだろう。

賀氏の発表は、青野氏にとっては〈倫理違反・無責任・軽率・不透明のてんこ盛り〉なのだが、〈警告〉でもあるという。〈今回の発表の真偽とは別に、こういうことは起こりうる。そして、この技術を人類としてどう使うのか、よく考えよと言われた気がするのだ。〉

▼「よく考えよ」と、誰に言われたのか。それは定かではないが、この遺伝子改変の問題は、おそらく「誰かに言われた」「何かに諭(さと)された」ことが決定的に重要だと思う。

そうした「誰か」や「何か」が隠れた時代になってから生まれた、おそらく最大の技術が、遺伝子改変の技術だ。だから、その技術が孕(はら)んでいる意味すらわからない時代、相対化できない時代になっているように感じる。

人間の世界で「責任」という言葉が、法律的に、ではなく、道義的に、でもない、異なる次元で使われなくなって久しい。この10年で人間の生命観は激しく変容するのだろうか。それは「生きる」ことの「価値」が変わる、ということだ。どう変わるのか、という議論は喧(かまびす)しいが、どう変えていくのか、という議論はまだ乏(とぼ)しいように感じる。

(2018年12月17日)

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