カイノヒダケ
私がそのユニークなキノコに『カイノヒダケ』と名付けたのは、子供の頃に読んだ童話を思い起させたからだ。
あらすじもよく覚えていないような話だったが「こいつはまるで、あの物語に出てくる宝石のようだな」と思い至り、学会に種として発表するよりも前から個人的にその名で呼んでいた。
後の研究で分かったが、このキノコは強い魂の志に感応してその輝きを増す。そしてその光はその志をより強いものとする作用がある。
―こんな話がある。
魔族と人間がツォルナスの方で戦争をしていた頃のこと。
ある魔族の男が傷を負い、仲間とはぐれてしまった。山林を5日ほど這い擦って、ようやく見つけた山小屋に宿を求めた。
その小屋には人間の幼い兄妹と、山羊が住んでいた。兄妹は山菜のスープを振る舞い、空いた寝室に男を泊めてくれた。
男は食事と寝床の礼に、薪拾いや山菜取りを申し出た。そうして兄妹の暮らしを手伝いながら傷を癒した。傷が癒えたら部隊に戻るつもりだった。
妹は特に植物に詳しく、山で採れる様々な植物を男に教えてくれた。
詳しいと言っても名前や分類など学術的な知識ではなく、もっぱら食用に適するか、適する場合どんな調理法がよいか、といった知識だったが、有益で役立つものだった。
カイノヒダケはその小屋のすぐ裏手の林にこんもりと群生していた。薄暗い林の中で、そこだけぼんやりと光を放っていた。傍には簡素な木製の墓碑がふたつ建てられていた。
兄の話によるとそのキノコは、2人の両親が死んだ後いつの間にか生えてきたらしい。暗い林の中でチロチロと光を灯すそのキノコは、さながら熱を持たない火種のようだった。
さて、あるとき兄は男が魔族ではないかと勘づいた。
兄は妹を守るため男のスープに毒キノコを入れたが、魔族の男にとってそれは毒ではなかった。しかしかえってそれが男が魔族だという確証となった。
その晩、兄は男を裏の林に呼び出した。墓碑の足元でカイノヒダケが光を放っていた。
兄は男を問い詰めた。
男は正直に答えた。自分が魔族だということも、2人に危害を加えるつもりがない事も。傷が癒えたら出ていくつもりだったことも。もしもいつか命令が下ればその時は侵略者になりうることも。
兄はそうなってもどうか助けてほしい、せめて妹だけは見逃してほしいと懇願した。男は約束できないと答えた。
兄は、約束してくれたら近くの人間の拠点や周辺の水源の情報を教えるとまで言った。しかし男は軍に雇われた身なのでその約束はできないと言った。
その晩の間ずっと、カイノヒダケが輝きを増し続けていることに男は気付いていた。
兄が毒キノコを盛ったと告白した時も。
命乞いをした時も。
情報の取引を持ち掛けた時も。
それらを断られて男を罵った時も。
男は翌朝、山小屋を発った。
9年の後、男が再びその山小屋を訪れた時には兄妹も山羊もいなかった。
貯蔵庫や箪笥を見るに、住人が1人いた形跡があったが、いずれも厚く埃を被っておりそれすらずいぶん昔のようだった。
裏手の林を覗くと、3つ並んだ墓碑の傍らに、萎びかけたキノコが申し訳程度に生えていた。線香ほどの灯りすらそこにはなかった。
―当時私は、魔族の傭兵として某国の軍隊にいた。まだ若く、植物学を学んでもいなかった。その頃その国は魔族と手を組み、領土拡大に余念が無かった。
私個人としては、それを善いとも悪いとも思っていなかった。当時の私にとって、人間との戦闘はさして抵抗のない仕事だったから従事していた。
数ばかり増えた種族が自らの何者でも無さを『標準』と呼ぶ傲慢な社会に思う所が無いわけではなかったが、それを変えようなどとは思わなかった。
ただ自分が死ぬまで生きやすい環境で生きられればいい、そう思っていた。もっともそんなささやかな願いが叶うには、我々の寿命は長すぎたが。
しかしそのおかげで軍を離れた後、植物学という奥深い森の入り口に立つことが出来た。
さて、繰り返すがこのカイノヒダケは強い魂の志に感応してその輝きを増す。そしてその輝きはその意思をより強いものとする作用がある。
魂と光が相互に影響を与え合うのだ。
ただし努々忘れないでほしい。カイノヒダケの美しい輝きはあくまで感応にすぎない。
翳りによって警告を与えることなどはない。
輝きを増すことで何かを保証したりはしない。
まして魂の善悪を測るものなどではありえない。
このキノコを私が発表した後、多くの人間(それも特に若者)がこの輝きの作用を半ば意識的に誤解して、その結果悲劇に見舞われたと聞いた。
これを読んだ諸君らは、くれぐれも同じ轍を踏まないように。
私は人間よりも植物の方が優れていると常々感じているが、さすがにそんなことの判断を菌類に頼るほど愚かではないはずだ。
ナバ=ラウォック著 『ツォルナス地方の野草ときのこ』より