波にさらわれてみんな海になるから、だから、マグカップを砂でつくったの
おんなじようなことばっかり書いててあれなんだけどさ、詩をかけなくなったらどうしようといつも考えているよ、多分そんな瞬間があるとしたら、マグカップの中の水がなくなるみたいにゆっくり訪れるんだろうと思う、しあわせであればあるほど、満たされる瞬間があればあるほど未来が不安になるのはもう性分なのかもしれないね。
今のわたしにはこれしかないのだと小さく縮こまってコップの中の水をちびちびと舐めては、次にそれが注がれるのを信じて、祈る、手を合わせて、目をつぶって、祈る。
かなしい、今のわたしにはこれしかないけど、それだって生活にも精神にもならない程度で、他人からしたら小石を蹴飛ばすくらいのとるに足らないもので、それがたまらなくくやしいのだ。
そう、詩を書かなくてもわらってくれるひとよ、詩を書いていることなど知らずにいるひとよ、きみたちのおかげでわたしはいきていたけれど、それでもきみたちに詩を書くわたしをわたしだと思っていてほしかったし、思ってほしいし、これから出会うすてきなひとたちに、わたしは、詩を書くわたしとして出会いたい。
別にふしあわせとかじゃなかったけど、サンタが来ないこと、短冊に願い事を書いたことがないこと、魔法使いにもセーラー戦士にも会えないって知ってたこと、ピアノ教室には通えなかったこと、小さくてくだらなくて、それでも幼さには十分すぎる絶望だけを詩を書くための栄養にしていたけれど、ほんとうはなにもかもがそんなもんより遥かにうつくしくて、言葉にしたいと思ってしまえるようになったこと、それがうれしくてたまらない朝、さみしさを言葉にできる夜、やっぱりどうやったって詩人になりたいのよ。
赤いマグカップ、なみなみつがれた冷たくない水、海にみんなみんな注いでしまって、あの海を、詩にしてしまえ。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。