泣けるほどおいしいだけで未来などおしえてくれない占いグラタン(0815)

このあいだいったばかりのライブハウスが閉館するらしい、気づいたらタイムラインからたぶん、リプライで話したことのあるひとが消えている、誰かが分岐点に立っているあいだ、ぼやけたまま変わらないわたしの生活、雑なお弁当の占いグラタンの星、よっつ、よっつもあってうれしいね、よりも、ひとつ欠けているな、と、先に思ってしまうこと、感性が豊かねって、褒めてくれるひとがもしいたとして、わたしは、そのひとの明度の高さが、怖かったり妬ましかったりするんだろう。ひねくれたおんな。
 
 
欠けているのはわたしのほうで世界はそもそも満ちたり欠けたりするようなかたちをしていないみたいで、羨ましいかぎりです、と、思うのは皮肉でしかなく、
わたしはすぐに欠けたり歪んだりしてしまうわたしが、ひとが、相変わらずかわいくって、憎たらしいくらいかわいくって仕方なくって生きている。たぶん、そういうわたしを好きすぎるおかげでしなずにいられるし、そういうわたしを好きすぎるせいで、しにたくなくなってしまっている。
まぁいいでしょう、
わたしはわたしを信仰するので、わたしはわたしの教えに背かないので、あなたはあなたの神に従ってそれぞれの場所で生きましょう、ころしあう必要もなければ、手を繋ぐ必要もないでしょう、先生、みんな仲良く、と言っていたあなたの、嫌いな上司が、今は校長になったりしています。
  
 
生活がばけものの姿になってしまうのは鏡みたいなもんで、わたしがばけものだからかもしれない、こんなにかわいいんだからかわいくあってよ、と形ばかり鏡をみがいてみたけれど、かわいくてもいい子じゃないとだめらしい、それならばけもの同士うまくやろうね、かわいくてやさしくってつよい、ひとに愛されるばけものになろうね、
こいびとよ、わたし何者かにならなければばけものになってでもいきのびてやるからそのつもりであなたにも永く永くそばにいてほしい、
髪を切るか迷っている、それだけのおんなでないと、さっさと悟ってほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。