なにも不安になるのは夜だけじゃないって話。

 
白い肌は蛍光灯よりも太陽に照らされた方が綺麗に見えるから、外を歩くのが本当に嫌いなわけじゃない、背骨、(情報のとおりみち)、は、同じように曲がっていてもコートに隠してしまえるんだって、薄々、気づいていたんですけど、もうコートなんか着てられる季節じゃないんですよね。
 

「ちいさいころの遊びみたいにね、白線から落ちたら、打ちのめされるんですよ、才能ってやつに、だから落ちないように落ちないようにって、繊細にどきどきして、そのどきどきのこと、こうふくって、呼ぶんですよ。」
そんなもの信じられません、だってあんまり美人じゃないくせに君の髪、テレビの中みたいに潤っているし、それでも太陽はにやにやと嗤っているし、あぁ、バランスを取る足の延長線上に、幸せってあるんじゃなかったの?

多分きらきらして、宝石みたいに、人はそんなふうに降ってくるって君は本気で信じていて、だから歩道を躊躇なく歩ける、その心臓、才能以外のなんでもなくて、言うとおり白線の外で、わたしは打ちのめされる、これはやっぱり、純粋な、ふこう、じゃん?

寂しい夜のことだけ不安とか呼ぶと思ってるなら、そのままでいてほしいって、おとうさんも言ってたよ。
眠れない夜からめまいのする昼までどうしようもなく腐っていって、妙なあたたかさの中で微睡むあの時間、知らずに豊かになれば、成功なんだって。
 

夕景まで当たり障りなく、お過ごしですか?







生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。