きっとふたごのはずだったんだ
夜を走るバス、頬の横で窓ガラスはうすく曇っていたけれど、きみの名前を書けなかった、ので、わたしはまた消してしまうことも形良く残しておくこともできないまま、終点の駅に向かう、暮らしへ向かう。きみの知っているわたしをぬるま湯でみんな洗い流してころしてねむっては、怨念の夢を見てうなされるのだ、わたし、自分以外にはきみのこともだれのことも、恨んでなどいないのに。
うつくしい絵を飾らない家に住むこと、きみもあの子も不幸だって思ったりするのだろうか。わたしがときどきそうおもって泣くためにここで暮らしているのかもしれないこと、気づかれないように、自分でも気づいてしまわないように、休日、七階建てのビルを舞台にする。
高くもないヒールがコンクリートを叩く音の前では、誰もいないエレベーターのはじっこで隣り合うひとの体温についてしか、話をしないと決めた。
古い蛇口をひねるとする水の音、バスの中でシャッフル再生されたラブソング、みんなみんなわたしの手でかんたんに止まる、のに、きみの前に立つ知らない自分の、心臓すら、止められない。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。