323回目の春にもここで

 
恋人がつくってくれた大きなおにぎりの三角形の角度を思い浮かべると、いまが春だってことを都合のいいように思い出せる。
 
 
そう、わたしは都合が良いから、自分のことなんて神棚くらい高くて尊いところに上げてだれにも触れられないようにして世界とか生きるとか、抱えきれないほど大きな主語ごと悪態をついてみせたりする。
いつか読んだ小説の女の子がひねくれ者でもわがままでもチャーミングだったから、わたしもそういうひとになりたい、
なりたいと思ってるようなわたしじゃなれないってことは言わないでほしい、
そうじゃなくたってわたしがキュートだってことは、言われなくても分かってるけど何度でも言ってほしい。
 
 
 
ポケットモンスター 希望/絶望はたぶん3:7くらいで絶望の方が売れると思う、どうせわたしも絶望を買う、
 
 
インターネットに住んでいるせいかは分からないけど絶望はメジャーなエンタメになって、なのにわたしはいつまでも人が死ぬ映画を見たくなくて(くるしいだけだから)、でもそれも感動系が駄目とかメインキャラが死ぬのが嫌だとか条件付きののワガママだからしょうもないよね。
 
 
 
何も言いたくないから詩を書いているときの波は海に似ている、これはあなたに分かってもらえなくていいこと、
言いたいことがとめどなく溢れるから詩を書けないときの渦は春に似ている、だから春はあんまり好きじゃなくて、だけどあなたがいるなら桜を見たいと思えるって、これはあなたに知っていてほしいこと。
 
 
来年の約束ができるようになってしまった、わたしのことを、どうか見放さないでね。






生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。