せかいいちおだやかなロシアンルーレット
詩を書くために生きられればよかった、それがだめなら生きるために詩を書きたかった
深夜2時40分、Twitterでつぶやいたこの言葉が今のじぶんの大体ぜんぶなんだと思う、全然ネガティブとかじゃないよ、最近、やっと人としてはじまりに立ったような気がしている、まだなにもはじまってはないし相変わらず不安定だけど、そう、なんかね、ようやく物心がついたみたいな。
寂しがりやだからひとが好きだし、ひとに会うのが好きなんだって、やっと素直に言えそうな気がするって、そんな程度なんだけど、わたしにはおっきな変化だったの。
生活をするか詩を書くか、選べる日がくるのかと思う、詩を生活にできないことのさみしさと人を求めるさみしさは違うのだけれどとにかく毎日さみしくて、どっちも持ってないけど愛か夢か片方を手放せばどちらかを手に入れられると言われたらわたしはどうするんだろうって考えたの、どっちもあげないよって神様が笑う日のことは怖いから想像しないようにして、都合の良いことだけ考える。
どっちも手にいれてしあわせになることしか考えたくない、だって、今のわたしのかみさまはわたしだった。
どうせわかりやすく生きるのなんか向いてないんだから吹っ切れちゃったほうが面白いのになぁ、って、思うけれどとんでもなく臆病なのは治らなくて、たとえばね、全部詩にしちゃえれば、言葉に、作品にしちゃえれば、誰かへの笑い話にしちゃえればなんだって怖くないかもしれないけれど、それが難しい、わたしは自分が、感覚だけですべてをやってのけてしまえるような天才でないのを知っているし、そんなひと、本当にいるのかも分からなくて、もちろん時間とか努力とかそういうものの上にしかなりたたないんだろうこともね、わかってはいるよ、そう、わかってる、つもりではいるの。
詩を書くようになって武器を手渡されたような気持ちになった、それからこの身を鍛えて武器にしようと思った、強いかは分かんないし、残りの弾数も分かんない、もしかしたらもう空っぽかもしれなくて、なんならはじめからオモチャだったかもしれなくて、それならそれで良い、わたし、ひとをころすためでなくひともじぶんも生かすために武器がほしかった。
トリガーハッピー、今は誰の声もあんまり聞きたくないや、考えて考えて張り詰めて、銃口から出たのがカラフルな旗だったら笑って降参しよう、その旗を振って歌って走って、そうやって生きよう。
そのときはいっしょに笑ってくれたりしますか、いっしょに、なんでもない日を祝ってくれたりしますか。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。