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天気の子/Weathering With You

 新海誠はセルアウトした、でもそれは悪いことじゃない。というのが、前作『君の名は。』を観たときの感想で、随分と偉そうな感想だと自分でも思うけれど、僕の作家・新海誠への関心は、そこで潰えてしまっていた。じゃあ、どうして今作を見たかといえば、たまたま入った映画館で時間がちょうど良いのがこれしかなかったからで、なんだか言い訳めいているけれど、見た理由は本当にこうで、でも結果から言えば観て良かった。

 今作もまた、前作『君の名は。』と同じように、それまでの新海作品の寄せ集め、というと聞こえが悪いかもしれないが、集大成的な作りではあった。過去作の断片が、そこはかとなく散りばめられている。本人もそれに自覚的というか、そう思われても構わない、というような態度であるように思われる。前作のキャラクターが意図的に出てくるからだ。とはいえ、もちろんそれだけではない。新しい要素や新しい物語もあるし、作品としての幅も広がっている。例えるなら、ファーストアルバムでは荒削りなギターロックだったバンドが、サードあたりで重厚なストリングスを用いた楽曲を作った、というような。ファーストからのファンはもしかしたら、それを寂しく思うのかもしれない。荒削りな部分や、それでも光る何かに、魅力を感じていたのだから。磨いたら光るのは当たり前だ。でも、その磨かれた光でこそ、映し出せるものがあるというのも、またひとつの事実なのかもしれない。

 集大成的とは言っても、過去の栄光と成功によってもたらされた豊潤な予算ででっち上げたような作品ではない。作家としての新海誠のアップデートされた感性や才能も感じられるし、例えばジブリアニメなどの『完成されたアニメ』の方向性を目指しているというか、そういう観客にも観てもらいたい、というような意思も感じられる。作劇も、前作までには少なからずあった少しダレてしまうようなシーンも全然なかったし、なにより映像作家として、「お前ら、セルアウトだなんだと好き勝手なこと言ってくれたな。俺の今の実力はこうじゃぁぁぁ!」的な気概というか気合いも感じた。ついてこられるか? と煽られているような。

 でも僕が一番感銘を受けたのは、やはりラストの「僕たちは大丈夫だ」というセリフ。これは彼の作品をずっと追ってきた人なら、胸にくるものがあるだろう。偉そうなことを何も憚らずに言えば、「そうか誠よ、お前はもうそこまで進んだんだな」というような感想を抱くはずだ。「あなたはきっと大丈夫」というキーワードが、これまでの作品の随所にある。ヒロインから主人公に向けて、様々な形で発せられてきた。でも、その言葉を主人公自身がどう受け止めたのかは、ハッキリとは描かれてこなかったと思う。『秒速5センチメートル』の最後で、主人公がどんな表情をしていたのか。きっと意見が分かれるところだろう(僕は、『ちょっとだけ笑っていた』というふうに解釈している。救われていたんだ、と気がつく場面として)。そんな『大丈夫』という言葉が、主人公から発せられたのだ。

 新海誠はセルアウトした、でもそれは悪いことじゃない。
 彼は進んでいる。でも、誰も置いてけぼりにする気はない。
 大丈夫だ。
 そんなふうに思った。

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