見出し画像

自宅で楽器練習を禁じられている状況を理解されない先輩

私の実家は密接した住宅街に住んでいる。

高校在学中の冬休みに同じ学区と近隣の学区の合同演奏の練習することがあり、うちの場合は楽器を持ち帰って個人練習が不可能であることを読んで参加しなかった。

実際は、自校ではなく、他校に行って練習を行うために、学校から楽器を借りて持ち歩かなければならなかった。

当時のヤマハのユーフォニアムは安くて50万ぐらいしており、実父の当時の手取り給料だけでも現金一括でも支払えない程高額だった。

実姉が使用した最新のエレクトーンの方が高額なのに何故買ったもらえないのかという不満があったが、

当時の実姉が保有しているグレードが講師レベルに至っており、無駄遣いせずに済んだという趣旨で比較されており、同じことをしてもいざなれば無駄に終わってしまうことが多く、無意味だ台湾ばかりだった。

エレクトーンはヘッドフォンですれば近所迷惑にならずに済むことに対して、

ユーフォニアムを含めた管楽器はそのようなものがないため、隣近所に気を遣わなければならず、自宅で個人練習が不可能だ。

仮に音を落としてやれと言われても、

楽譜に記載されている音量の強弱記号があるため、呼吸のみで調整しても限界がある。

反面、親に内緒で練習できるパーカッションパートならば、

スティックのみ持ち帰って練習可能という利点がある。

卒業してから数年後に行われた高校の周年記念の式典で演奏するための練習では学校で集まって練習することが時間的に限られており、同じパートの先輩から、

楽器を学校から借りて自宅で個人練習して欲しいという電話があった。

前述の理由で不可能であると断ったら、

厳格な両親を振り切って、自分の意思を持った人間になって欲しいという先輩の願いのみならず、彼女が非常勤講師をしていた小学校にある楽器を上司に当たる当時の校長と対立して、押し切った形で借りれたということを受け、再会できた仲間を裏切って、家族優先の生活から脱した一人の人間として生きて欲しいと懇願された。

在籍当時から受け身であった私を心配して、

社会に通用できないという忠告

であり、

大学在籍中だった実姉が「就職」することを選び、家族のためにやりたいことを自ら捨てた辛さがあった悲しみを知ったのと同時に、私が在籍していた高校は他校と比較して、お遊び程度の感覚である #底辺校 だと #毒親  に言われた過去を話さなかったことが原因で先輩との練習態度による食い違いがあった。

先輩は、私がオファーを受けたことを受けて追従する形で参加したと言わんばかりだったが、

基本的にに卒業したらこの関係は契約切れ同様な形で疎遠するスタンスを取っている私に対して、出逢った人を大切にしていないことを指摘された。

楽器云々ではなく、

再会した時に周年記念演奏をしたことを懐かしんで話し合えて共感できることを願う為の思い出作りを共有することが大事なことであり、家族という「別の人」による影響で、上書きする形で否定的な対応をしたら私に対し、悲しんでいたということを先輩は言いたかったのだろう。

#部活の思い出 #生きづらさ

この記事が参加している募集

只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。