リーダー的な立場が皆無な立場のコンプレックスに対する反発と生きづらさ
生まれてから表題の件に甘んじている私は、
家庭ではリーダー格である実父に逆らえば、必ずといっていい程暴力を振るわれる。
その影響で社会に出ても、
自分の意志が持てない大人であると言われてしまう程の生きづらさを感じている。
家族と意見が対立しそうになると、
自分を押し殺して仕方なくするものの、わだかまりが生じてしまい、トラブルを起こしてしまう。
そうすれば他の家族や仲間に伝わってしまうのは当たり前であり、
そうなる前に、所謂「 #同調圧力 」を求められるのだ。
校則が厳しい高校に在籍したことがあり、校則反対派の友達と連んで陰で破ったことから、
「自分らしさ」を失ってしまった失望に対する「怒り」はあったものの、逆にそうなってしまったことを考えて、表面上は「いい人」ぶっていた。
例え、過去に何も状況がわからない場所からに行くと、親しげに迎え入れてくれた人が、陰口を言われていたことが多かったのは勿論、兎角いう私も、
不満を堪えきれず同様なことをしたことが見つかり、怒らせてしまったことがあったので、立場が弱い者はそうやってストレスをしているんだということが理解できた。
立場の弱い人でも、
リーダー格といったマウンティング上位者とは「別格」の人間であり、格下の者の意見を取り入れて、分散して欲しいという思いがある。
そうなってしまうと、
冒頭の生育歴が原因でマイナスな評価が下されるリスクがあるが、現在は私の様な弱い立場の者が主体となっていく社会にシフトしているということを置き忘れてあるのではないか。
男尊女卑等のマウンティング上位者の命令には従うといった時代はもう終わり、
個々の個性を分散して指示をしていくやり方をしていくことが当たり前であり、昔ながらの厳格なやり方をしなければ、萎縮せずにやっていけるのではないか。
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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。
主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。