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自死した親友は共通の友人の番人役だった

2013.4.22に親友が自死してから7年が経過した。

その後に共通の友人間に起きたやり取りにかなり変化があった。

詳しく挙げるとキリがないが、親友が晩年までやりとったままで接しても否定的であった方が多く、

#統合失調症  の症状に苦しむ温厚な親友は好きで病気になった訳でなく、当事者しかわからないと嘆いた事を憶えている。

私自身 #抗精神病薬  を服用している身であるが、

世間はそういった人達を偏見しがちであり、それによる制限を受けた為に #生きづらさ  を感じている。

親友は #障害者手帳  を取得しており、過去に #障害者  という文言で #いじめ  を受けたことや、家族が偏見していることから、そういった人達を敬遠していると読んでおり、

#精神障害者  という理由で蔑視しないように配慮をしながら寄り添ったつもりだ。

決め手となったのは、共通の友人に2000年に雇い止めした前職で長時間通勤や人間関係のストレスが原因で服薬していると軽く言ったことを憶えており、そのひとりと親友のお焼香に伺い、親友のお母様が障害者となったといった話を受け、私の許可なく、別の友人にLINEで告げ口をされたことから始まった。

在職中に障害者手帳を所持して、就労に対する融通をしなければと不幸になると忠告を受けた私は、

どこの病院に行っても健常者並みにこなしているという判断で取得できないと断られた程公表させられる筋合いはないと言いたかった。

判断するのは本人だけでなく、最終的に医師の判断になるので、

当事者が置かれていることを理解せずに軽い感じで言うべきではないのと同時に #いじめ  加害者と同然である。

親友の死後、しばらくFacebookでの交流をはじめ、面会を数回しており、親友の死と自身の退職に追い込ませるためのいじめ被害に苦しみながら助けを求めようとしても、

それが仇となって疎外するような対応を取られたことから、様子がおかしいと思った。

失業すれば毒親と一緒に暮らさなければいけないのは勿論、

それで関係が終わってしまったら孤独になってしまう危機となる恐れを抱いていた。

本心では不快と思っていても、最後の砦であるのは親友と一緒に遊んだ二人の友人だけであり、無理して続けた結果、

社会的弱者の定義を理解せずに距離を置かれたことで、長年悪い社会に染まってしまった私に失望しただけでなく、積年の抑圧が表出したことで、純粋な心を持った親友が不在になった今、本性が見えた。

親友は再び私と共通の二人の友人でやり取りをしたいと望んでいたものの、世間に偏見されやすい精神障害者であることを理由に疎外されたくなく、会おうとしなかったことから、

当事者が抱えていることを安易に口にするなと訴えられた深い理由が理解出来、それによって生きづらさの元凶となった二人の友人を亡くなる直前まで面会させなかったことが幸であり、親友がいてくれたおかげで楽しい青春時代を送ることができたことに感謝する。

上のイラストを拡散してください(当分の間貼り付けます)

#とは #立川病院 #慶應大学附属病院





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Chie Suzuki@おうじゃ
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。

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