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長いつぶやき

見る、ということの暴力性について長らく考えている。
ソーシャルワーカーとしても。美術鑑賞ということでも。
そして、zoomミーティングが苦手な個性を持つ(おそらく統合失調症を持つことが影響している)個人としても。自己注察が過度にループしてzoomミーティングは苦手なのだ。見る自分をモニタリングし続けてしまう。

見るなの禁忌、という民話モチーフがありますが、自分の絵を描く行為は鶴の機織り的なものでもあり、それは見てはいけない禁忌でもある。完成品は展示して見せるものであっても。

行為の時系列の中で、見る、という一面的理解が横暴な時間があり、視線以外で感じるだけに留めるべき時間帯はあると思います。

そんな、わきまえや矜持が、ソーシャルワーカーとしての仕事にも息づく気がしています。

サポート頂いた分は、絵の具や画材代金の、このコロナ禍で発表の場も得られず苦しい中での、クリエイター活動継続の為に、使わせていただきたいです。 切実なのは皆さん一緒です。私も何か還元していければと思っています。 宜しければご検討ください。