10月14日はアーネスト・トンプソン・シートンの日(架空記念日ブログ)
おはようございます。本日は令和5年10月14日(土)です。今日は10(獣)1(医)4(師)ということで動物といえばこの人、今日は博物学者アーネスト・トンプソン・シートンについて書きたいと思います。昨日が10(獣)1(医)3(さん)からのペットの健康診断の日ってのがあったそうで、純粋に獣医師の日ってのがあっても良さそうですけどね。
今日の架空記念日は?
獣医師さんに敬礼
獣医師といっても、いろいろな仕事をしている人がいまして、ペットの専門医といて動物病院で働いてる獣医師さんや、動物園の動物の健康を管理するかかりつけの獣医師さん、鳥インフルエンザや狂牛病のような動物を苦しめる疫病の研究をする獣医師さん、エキノコックスや狂犬病のような動物から人間に感染する病気を研究する獣医師さんといった感じで、人と人以外の動物が仲良く平和に暮らしていけるように日々の努力してくださっています。うちの猫達もしょっちゅうお世話になってます。本当にいつもありがとうございます。
アーネスト・トンプソン・シートンという人
日本では「シートン動物記」っのでお馴染みのアーネスト・トンプソン・シートンさんはイギリスのサウスシールズ出身、1860年に12人兄弟の末っ子として生まれました。アーネストが5歳の時、お父さんは会社経営を失敗してカナダに移り住んで4年間森の開拓をするのですが、その時にアーネストは学校から帰ると毎日遊びに行き森に魅了されます。
よそは他所、うちは家
その後父親が体調を崩したために、トロントに移り住みました。高校を卒業する頃にアーネストはすでに博物学者を志しているのですが、厳格な父が猛反対し、父の勧めで画家を目指すことに・・・・はい、ストップ!
価値観の違いってすごいですね、日本であれば画家を目指すって食ってけるかどうかわからないってなりますよね、博物学者の方が社会的地位が低かったってことでしょうか?お父さんの現在の職業は会計士なんですけどね。
暴君「お父さん」
しかしこのお父さんかなりやばいみたいです。熱心なキリスト教徒で日曜日は宗教活動を強要、キリスト教の本しか読んじゃダメ、反抗的な態度を取れば体罰、そして極め付けはアーネストが成人すると、アーネストに使用した金の明細書を見せて返済するように要求しました。しかしアーネストはそんな父にも負けず、美術学校で動物の絵を描きまくってたそうです。
大英博物館で夢が再燃
アーネストは1879年にオンタリオ美術学校卒業後、イギリスにわたり絵画の名門ロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校に入学します。そこでロイヤルアカデミーの入学試験の課題を描くために名画を大英博物館に観に行くのですが、そこに博物学書がたくさん長蔵されている図書館を見つけます。しかし図書館は21歳未満は入館禁止になっていて、当時19歳だったアーネストは途方に暮れます。
奇跡ってこういう事だよね
図書館が諦められなかったアーネストはいろいろと調査をすると、イギリスの王太子、イングランド国教会の大主教、イギリス首相の許可があれば21歳未満でも入館できるという噂を聞き、早速ダメもとで3者に自分の熱意を書いた手紙を送りました。なんとその熱意が通じて返事が来てアーネストは図書館長から一生涯図書館を利用できる館友券をもらいます。そうしてアーネストは昼は博物館で絵を描き、夜は図書館にこもって閉館時間まで博物学書を読み漁ります。
偉人は変人
そんな生活は長く続くはずもなくアーネストは身体を壊します。そしてトロントに戻って療養し、回復するとカナダで農業をやっている兄の元へ身を寄せます。そこで農場のお手伝いをしながら森林や草原に現れる動物を観察や記録をしながら過ごしました。その後1883年にニューヨークの出版社で動物の絵を描く仕事を始めますがカナダが恋しくなり戻ります。1890年にパリに絵の勉強をしに行きますが、やはりカナダが恋しくなり戻ります。ちなみにアーネストは画家としてはイマイチだったそうですってカナダ好きすぎよね。
狼王ロボ
1892年に念願のマニトバ政府の博物学者に赴任、翌1893年にアメリカの牧場を営んでいる実業家から、「牧場の牛が狼に襲われて困っている。助けて欲しい」という内容の手紙がアーネスト宛に届きます。余談ですがアーネストがいた部署に生物調査局ってのがあってそこから猟師などを派遣する業務も兼ねていたそうです。その知らせを受けたアーネストはメキシコ州カランポーへ向かい、農家を次々と襲っている狼の群れの生態を調査します。そしてその群れを束ねている狼を捕獲しました。その狼をもとに創作したのがシートン動物記の第一部「狼王ロボ」でした。
シートン動物記
その後アーネストは雑誌に連載したものをまとめた「狩猟の生活」や他に出版した「歴史に残る動物たち」「ペットの野生習慣」「誰が英雄だったか」などを編纂して、55編の動物物語として「私の知る野生生物(シートン動物記)」を1925年から1928年にかけて全四巻を出版しました。その本が翻訳家・内山賢治が手に入れ、その本が動物研究家平岩米吉の目にとまり「動物文学」って本に翻訳したものが掲載されたのが日本に初めて紹介されました。その後内山が1937年から1938年にかけて「動物記」全六巻を発行、ちなみ同じ時期に内山はファーブルが書いた「昆虫記」の翻訳本を発行したそうです。
まとめ
いかがだったでしょうか?アーネスト・トンプソン・シートンさんがシートン動物記を出版するまでをなぞってみました。結論から言うとアーネストさんは大自然が好きって事なんですよね。
今日のさわだくん
111日チャレンジ6曲目
世界が終わるまでは・・・/WANDS
テレビ朝日系テレビアニメ「SLAM DUNK」第2期エンディングテーマでWANDSの8枚目のシングル曲です。
「SLAM DUNK」みなさんは見てましたか?そしてこの間の映画見ましたか?私はジャンプ連載当時に一通りは見たのですが、それ以降はさっぱりでした・・・絵が苦手だったんです。バカボンドは好きだったんでけどね。
あとがき
今日は時間がかかりました、途中までエキノコックスの話を書いていたのですが、あまりにも専門用語が並んでしまったので急遽シートンに変えました。タイトル画像はエキノコックスのまんまでいこうと思います。もうお昼なのでこの辺で、また明日。