人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず
私の第二生のミッションは、”ふるさと能登の地方創生の応援”だと思い定めてから、「私の人生は新たなステージにたどり着いたのではないか」と思うようになった。
それは、古稀で生前葬&出陣式を執り行い、新たな第2の人生を送りたいと思い、その人生を模索しながら生きてきた。そして、昨年、天の「ふるさと能登に帰れ。そして、能登のために尽くせ」との声を聴き、「私に何ができるだろうか。ふるさと創生のために尽くしたい」との想いにたどり着いたと思うからだ。
経営の才はない浅学非才の私ではあるが、稲盛和夫さんに私淑し、「敬天愛人」の心で、"世のため人のために生きていこう"と思う。
そう思って能登に接していると、遥か遠くにある"無私の心"、"利他の心"が、少しずつ、少しずつ、自然に私の心に湧き上がってくる。
"利己という小欲を突き詰めていくと、利他という大欲に至る"
小欲を捨てるのではない。小欲を突き詰めていくと、小欲から少しずつ脱してくる。そして、利他、無私という大欲の足元に辿り着く。そうだ、私の第二生は大欲を追求する人生にしようと思う。
戦国時代に天下統一を目指した三人の戦国の三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)は、さまざまな観点から比較される。
この三英傑を主役としたNHK大河ドラマは、「太閤記」(1965)、「国盗り物語」(1973)、「おんな太閤記」(1981)、「徳川家康」(1983)、「信長 KING OF ZIPANGU」(1992)、「秀吉」(1996)、「葵 徳川三代」(2000)等がある。
戦国は、幕末・明治維新と並ぶ日本人の太宗が好む時代であるが、その中でもこの3人は三者三様、主役として格別の魅力がある。
私は、幼少から青壮年期に至るまで、3人の中では特に豊臣秀吉を好んだ。
貧乏百姓の倅であった日吉丸が天下を取った。田中角栄首相は今太閤ともてはやされた。人間的魅力は半端ない傑物だった。
秀吉も角さんも"人たらし"で、そのキャラは魅力満載だ。私はそんな英雄に憧れた。
しかし、秀吉は、天下を取ってからは私利私欲に溺れ、小欲に徹してしまった。甥の関白秀次を殺し、愛息である秀頼を溺愛した。大欲を忘れてしまったのだ。
その最期はなぜか侘しい。享年61歳。
織田信長は切れ者で、カミソリのような人物だ。人を手足としか思わない。人を大切にしない。そのため、家臣の明智光秀の謀反によって志半ばで生涯を閉じた。享年49歳。
時代のチェンジャーとしては群を抜いていた傑物ではあったが、人望という点では劣る。人は力だけでは付いていかない。
それに反し、家康は狸おやじと評判は今一で、私はあまり好きではなかった。しかし、古稀を過ぎ、これからの新しい人生に再チャレンジしようと思うとき、私の目には家康は魅力ある人物と写るようになった。
家康の享年は75歳。当時としては長命だ。今の人生100年時代であれば、百寿を全うしたということか。
徳川のためという小欲を、日本のためという大欲へとアウフヘーベンして、徳川260年の天下泰平の基礎工事をしたのだ。
この3英傑を歌った戯れ歌がある。
一つ、
「天下餅」という歌だ。
織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川
二つ、
また、ほととぎすを題材にして、三人の性格を言い表した歌もある。
なかぬなら殺してしまへ時鳥
織田右府(織田信長)
鳴かずともなかして見せふ杜鵑
豊太閤(豊臣秀吉)
なかぬなら鳴まで待よ郭公
大権現様(徳川家康)
私は、これからの第2の人生を全うして、世のため人のために尽くす、能登の地方創生の応援をしたいと思うのであれば、"家康の遺訓を心に留めて生きていく"ことが大切だと思うようになった。
【徳川家康 家訓】
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)