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旧満州の旅に思う

日本は、明治維新を経て近代国家に生まれ変わったが、世界は帝国主義の時代だ。帝国主義は弱肉強食。強い西洋国家が弱い東洋を食い潰した時代だ。日本が独立国家として生きていくためには、日本も西洋と同様、帝国主義にならざるを得なかったのだ。

私は、幼少のころから、祖父からことあるごとに旅順攻囲戦の話を聞かされていた。中学・高校の社会科の授業でその反芻をし、映画「二百三高地」やNHKドラマ「坂の上の雲」を見て、私も日本人だ、どうしても日本人の立場で歴史を見てしまう。

明治維新の前は、日本は弱者の立場であったものが、「坂の上の雲」を目指してだんだん強者になっていく。日清・日露の戦争に勝利して、その勢いは留まるところを知らなかった(そして究極には、大東亜戦争・第二次世界大戦で惨憺たる敗戦を味わうことになってしまったのだが)。

それは生きるためには仕方のないことだったであろうが、ともすれば弱者であったことを忘れてしまう。強者の驕りで弱者を見下してしまう。この前までは弱者だったのにだ。
そして、西洋かぶれのように、西洋と同じ帝国主義国家になっていった。なりさがっていった。驕り高ぶった帝国主義国家になりさがっていった。

ユーミンが大好きな妻は、ユーミンの歌に"大連慕情"があるという。多くの歌手がカバーしている。妻は「大連に行かなくても歌を聞いて、大連はこんな街だとイメージできる」と言う。大連は実に魅力的な都市なんだろう。
さらに、大連には多くの日本語学校があり、日本語を解する人たちが多いと聞く。それは、高齢者のみならず、日露戦争や満州国の歴史をよく知らない若者たちも日本語をよく解しているとか(とはいっても、私のような高齢者も大東亜戦争のあとに生まれた"戦争を知らない世代"だから、戦前のことはリアルには分かっていないのだが)。
大連は、中国には珍しい親日の地域のようだ。どんな都市なんだろうか。興味津々だ。

政治的観点から、中国や韓国では"反日教育"が徹底的に行われていて、私は、素直に親日の台湾のような温かい感情を持つことができないことは事実だ。
しかし、同じ人間である。同じ東洋人である。日本の文化は中国から伝播してきたのだ。私の生きる哲学は、圧倒的に中国から伝播してきた"孔孟の教え"であり、論語がそのベースになっている。今の中国にはないだろう"孔孟の教え"が日本にはあるのだ。

子貢説うて曰わく、
一言にして以て終身これを行うべき者ありや。
子の曰わく、
それ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。
(論語)

至誠にして動かざる者は、
未だ之あらざるなり。
(孟子)

黄副団長は、心底日本が大好きで、日本で会社を起こし、私のふるさと能登の復興・創生・再生のために、私と同じ気持ちで応援してくれている。論語で言うところの、人間として一番大切な"恕の心(人を思い遣る温かい心)"を持っている人だ。

私は今回、そんな素晴らしい人間性を持っている黄さんのふるさとを訪れるのだ。
私も、黄さんが日本を愛するのと同じ気持ちを持って、5泊6日の大連・旅順・ハルビン(哈爾濱)の旅を満喫してこようと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年9月にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争である。

三国干渉後、満洲(中国東北部)と朝鮮半島の支配権を巡る争いが原因となって引き起こされた。
陸戦では満洲南部の遼東半島や奉天が主な戦場となり、海戦では日本近海にて大規模な艦隊戦が繰り広げられた。
最終的に両国はアメリカ合衆国政府の斡旋の下で、講和条約としてポーツマス条約を締結した。

講和条約の中で日本の朝鮮半島における権益をロシアが認め、ロシア領であった樺太の南半分が日本に割譲された。
また、日本はロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権、東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も獲得した。
しかし、賠償金を獲得するには至らず、戦後に外務省に対する不満が軍人や民間人などから高まった。

[大日本帝国の動機]
大日本帝国はロシア帝国の南下政策による勢力圏拡大を防ぎ朝鮮半島・満洲における利権を守ることで大日本帝国の安全保障や利益を確保し、進んでは満洲・樺太・沿海州等における日本の勢力拡大ないしロシア側からの利権奪取を主な目的とした

また、後の講和時の日本側代表による交渉姿勢や日本国民の反応からは、勝ち戦となった以上は賠償金取得を期待していたことが窺える。

開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』では、満州での勢力拡大により大韓帝国の保全が脅かされることが日本の安全保障上・極東平和への脅威となったことを戦争動機に挙げている。

他方、2月10日の開戦の詔勅に続くはずだったとみられる詔勅草案もあり、ここでは信教の自由を強調し開戦の不幸を強調している。

満洲国は、満洲事変により日本軍が占領した満洲(現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省)、内蒙古、熱河省を領土として1932年(昭和7年)に成立した国家。一般に日本の傀儡国家と見做されている。

首都は新京(旧長春)。日本民族・満洲民族・漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族の「五族協和」による「王道楽土」建設をスローガンとし、清朝の廃帝愛新覚羅溥儀を執政に迎え、1934年(昭和9年)から溥儀を皇帝とした帝制へ移行し、各大臣は満洲族で占められたが、要職は関東軍司令官のもと日本人が掌握した。1945年(昭和20年)8月に対日参戦したソ連軍に占領されたことで消滅した。ただし完全占領前の8月17日に重臣会議により満洲国の廃止が決定され、翌日に皇帝溥儀が退位を宣言している。

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