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72歳の誕生日に思う

今日(11月8日)は私の72回目の誕生日だ。"古来稀なる古稀"を過ぎて、早2年が経った。

”光陰矢の如し”
"人生は短い"


この72年間、私は能登に15年、神戸に4年、札幌に2年、残りは東京(含む、川崎、船橋)に51年住んだ。半世紀以上が東京ということになる。札幌が気に入って、札幌(真駒内)でマンションを買い求めようと思ったこともあるが、家庭の事情で買うまでに至らなかった。
江戸っ子とは、最低、祖父母の代から三代続くことが条件だそうだから、いくら半世紀以上東京に住んでいても私は江戸っ子ではない。

元日に能登半島地震があって、やはり私は"能登生まれの田舎っぺ"だと、改めてそう思っている。
そして、これから月の半分を能登で暮らすことにした。東京との二拠点生活が始まる。そして、健康が許せば、これからの後半人生の半分は能登で暮らしたいと思っている。そして祖父母と同じ中能登の墓に入りたいと思う。
そんなことで、私は、誇りを持って、自らを"能登の田舎っぺ"と宣言しようと思う。

今月は、14日から25日まで能登に帰る。能登に行くのではない。能登に帰るのだ。
そして、16日(土)は、午前に中能登の先祖代々の墓にお参りして、午後には金沢で金沢大学附属高校同期の遅ればせの古稀の祝いの同期会に出席する。同期と久しぶりの交流ができることを、懐かしく、愉しみにしている。

昨今のホテル代は異常に高い。価格は需要と供給の間で決まる。特に金沢はメジャーな観光地だから致し方ないとは思うが、その高さに驚きを禁じ得ない。いつも泊まっていたドーミイン金沢は1泊3万円を超す。

同期会が老舗料亭の金城楼で、会費は25千円。ホテル代3万円が加算されたら堪ったものではない。
18時からの同期会なので、いくらなんでも21時には終わるだろう。超早寝早起きの私には2次会という選択はないから、22:31金沢発〜23:37能登部着の七尾線の最終で中能登まで帰ることにしよう。
宿泊先の御祖の里までは能登部駅から徒歩で40分はかかるから、到着は午前様になるが、17日は日曜日だ。久しぶりに遅くまで寝ていればいい。

2年前の6月4日に、南麻布の了聞にて生前葬を執り行った。満69歳(数え71歳)だった。それから2年5ヶ月。そして、今日、私の満72歳の誕生日を迎えた。

一昨年の満70歳の誕生日に第1回の"重陽の会"を開催した。
"重陽の会"の名の由来は、私の戒名である不動院"重陽"博愛居士から採ったものだ。女性経営者を中心とした女性の会だ。
年代は50代から20代まで、年齢の幅は30年もある。歳の離れた妹や娘や孫のような女性たちだ。

度厚かましくも、私が声掛けして、私の誕生日に、私の戒名を会の名称にして開催する。
妻は、「若い女性たちが集まってお祝いをしてくださる、そんな年寄りは滅多にいない。ありがたいことだ。皆さんに感謝しなければいけませんよ」と言う。

私は、若い女性たちからエネルギーをいただく。それに、〜能登の復興、創生の応援~生という第二生のミッションが加わる。
私は一人ではない。多くの皆さんのお力をいただいて"応援"と言う私らしい、私しかできはしないミッションを果たそうと思う。
それで、ますます気持ちは若くなる(「身体は72歳の中古だ」と、しっかり自覚して行動しなければならないが)。

祖父母は、内孫で一人っ子の私を育てるのが生きがいだったのだろう。私が生まれた時、祖父は75歳、祖母は70歳だった。遅い内孫だった。だから、私を育てるのが二人の生きがいになっていたのだろう。

私に孫は4人いるが、ほとんど会うことはない。妻はそうでもないが、私は仕事に託けて年に一度も会っていない。

稲盛さんは、"両極端を併せ持つ"ことの大切さを説かれる。

大胆さと細心さは相矛盾するものですが、この両極端をあわせもつことによって初めて完全な仕事ができます。
この両極端をあわせもつということは、「中庸」をいうのではありません。ちょうど綾を織りなしている糸のような状態を言います。縦糸が大胆さなら横糸は細心さというように、相反するものが交互に出てきます。大胆さによって仕事をダイナミックに進めることができると同時に、細心さによって失敗を防ぐことができるのです。
大胆さと細心さを最初からあわせもつのは難しいことですが、仕事を通じていろいろな場面で常に心がけることによって、この両極端を兼ね備えることができるようになるのです。

"私の生きがい"について考える。

私には、〜能登の復興、創生の応援〜と言う生きがいがある。これからの後半人生の第一の生きがいだ。
しかし、もう一つ、祖父母のように孫たちをリアルで育てるという生きがいはない。
現実に、両極端を併せ持つことはできないのだ。

しかし、ありがたいことに、子どもたちは、スマホで孫たちの動画や写真を撮って送ってくれる。それで、私は孫たちに会っている気持ちになる。孫たちの成長をこの目で実感することができる。
孫たちも、私が100歳の現役人生を生きがいを持って生きていることで、「人生とは何か」、「人は何のために生きるのか」を、いつか感じてくれるだろうと思う。
これが、私の生きがいについての"両極端を併せ持つ"ということなのだと思っている。

孫たちのことを思う。
私の想い(念い)を孫たちに伝えていく。そして、想い(念い)が孫たちに継がれていく。

孫たちが「おじいちゃんは素晴らしい人生を生きたんだね。私もそんな人生を生きていこう」と思ってくれる、そんな素晴らしい人生を送りたいものだ。

今日は、素晴らしい72歳の誕生日になった。ありがとうございます。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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