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能登と「敬天愛人」

毎月初に『致知』が事務所に届く。黄さんが私にプレゼントしてくれているものだ。もう2年続いている。ありがたいことだ。

今月は2日から6日まで能登に帰っていた。7日と8日は、溜まっていた作業でバタバタだったので、漸く今朝(9日の朝)に『致知』に目を通した。

11月号の[特集]は、「命をみつめて生きる」

その[巻頭の言葉]は、JFEホールディングス名誉顧問の數土文夫さんの"捲土重来、未だ知るべからず"。

項羽と劉邦の「垓下の戦い」から約千年の時を経て、晩唐期の詩人・杜牧が、悲劇的な項羽の死を悼み詠んだ詩だ。

[烏江亭に題す]
勝敗は兵家の事、期せず
羞を包み、恥を忍ぶは是れ男児
江東の子弟、才俊多し
捲土重来、未だ知るべからず

勝敗は軍人の常であり、完全に予測することはできない。一時の羞恥を受け入れ、耐え忍んでこそ、大望を抱く男児ではないか。ましてや、対岸の江東は項羽の郷里、多くの若い俊才がいたはずだ。砂塵を捲き起こし、他を圧する力と勢いで、再び攻め返していたならば、結果はどうなっていたか分からなかったろうに。

大志・大望を抱いた者が、一度や二度の挫折や失敗で諦めたり挫けたりするな、捲き返せ。
という意味だ。

また、致知出版社の代表取締役藤尾秀昭さんは語っている。

釈迦は、「この世においてどんな人にも成し遂げられない五つのこと」を明示している。

その法則とは、
1.老いていく身でありながら老いない、ということ。
2.病む身でありながら病まない、ということ。
3.死すべき身でありながら死なない、ということ。
4.滅ぶべきものでありながら滅びない、ということ。
5.尽きるものでありながら尽きない、ということ。

この法則を細胞に染み込ませて、あらゆる生命は生きている。
"命をみつめて生きる"とは、この法則をみつめて生きることだ。

さらに、渋沢栄一が晩年好んで揮毫したという言葉を紹介している。

「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ」

一日を懸命に照らし続け、西の空を茜色に染めて沈んでいく夕陽の美しさ。それは天が夕陽のような生き方を重んじている表れである。
人間も歳と共に人間としての佳境に入り、晩年になるほど晴れわたっていく生き方が貴い。

渋沢栄一が子孫のために遺した短歌がある。

「ゆずりおく このまごころの ひとつをば 亡からむのちの かたみともみよ」

自分はそれほどの才能もなかったが、何事にもまごころを持って当たってきたから、人生、そんなに難しいことはなかった。

昨今の政界人の魑魅魍魎のさまを見て、「世の中そんなものか」と思う。そして、この魑魅魍魎は政界に限らず、私がかつて生きてきた民間社会であっても、多かれ少なかれ同じようなものだった。何も政界が特別なことではない。

私は44歳の時、「そんな魑魅魍魎の世界にドップリ浸かる生き方はできない。したくもない」と思い、銀行を退職した。"若気の至り"と思うところもあったが、その迷うことなくその階段から降りた。その後の人生は、七転八倒、紆余曲折であったが、素晴らしい人たちに出逢うことができた。今は、全く後悔はしていない。 

若かりし頃は、西郷隆盛の"敬天愛人"の人生を生きたいと思った。また、西郷どんの"敬天愛人"を座右の銘とされている稲盛和夫さんに邂逅し、彼に憧れ、私淑した。

あの大器量人の西郷どんでも、その魑魅魍魎の世界に嫌気がさして、ふるさと薩摩に帰っていった。いわんや、凡人の私においてをや。

さあ、私もふるさと能登に帰ることとしよう!


天は私に、一つのミッションを与え給うた。
そのミッションとは、"私のふるさと能登を、人口減少社会の目指すべきモデル地域にすること"だ。

能登の応援団長として、第二生を生き抜くこと。
第一生で培った温かい人とのつながりをベースに、第二生のミッションを果たすこと。

捲土重来、我が限りある命をみつめて、西の空を茜色に染めて沈んでいく夕陽のような"美しい人生"を生き抜いていきたいと思う。

大いなる道といふもの
世にありと思うこころは
いまだも消えず  
下村 湖人

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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