
鍬を持って耕しながら、夢を見る人になろう
牛尾治朗さんの著書「わが人生に刻む30の言葉」(致知出版社刊)を読んだ。
その中の「第四章 人生をつくる」の"夢の見方"(23番目)が、特に印象に残った。
「鍬を持って耕しながら、夢を見る人になろう」
三十年ほど前にソニーの厚木工場を見学したことがあります。創始者の井深大さんがまだ第一線で活躍されていたころです。
何よりも私の目をとらえたのは、工場に掲げられたスローガンでした。
工場にスローガンを掲げるのは、どこでもやっていることです。私の目を奪ったのはその中身です。中身の素晴らしさに私は感動したのです。
「鍬を持って耕しながら、夢を見る人になろう」
これがスローガンの言葉でした。
人間は鍬を持って耕すと、ともすれば耕すことだけにとらわれがちです。
わが身を振り返っても大いに思い当たるのですが、経営者はことにそうではないでしょうか。耕して、そこから得る収穫に一所懸命になってしまう。
ところが、耕すことに熱中していると、やがていくら努力しても収穫が増えない状態に遭遇します。増えないどころか、じり貧に陥ってきます。
夢がなければ発展しません。耕すだけでなく、夢を実現する努力がないと、物事は必ず行き詰まるのです。
ところが、夢を見るとなると、もっぱら夢を見ることにかまけてしまいがちになるのも人間です。夢から夢を追いかける具合になって、単なる夢想に陥ってしまう傾向があります。
耕しながら、夢を見ることが大事なのです。耕す努力を続けていれば、夢はどうしても地に足がついたものになります。
それだけ実現の可能性も高まるというものです。
鍬を持って耕しながら、夢を見る人になろう。
(井深 大 SONY創業者の一人)
盛田昭夫とともにSONYを創業し、世界的企業に成長させた井深大氏。
著名な発明家として知られ、早稲田大学時代に発明した製品はパリの万国博覧会で金賞を受賞した。その後、技術担当の井深、営業担当の盛田として、世界初の製品を次々と世に送り出し、SONYは戦後日本復興の象徴的企業となった。
豊かな発想を持った井深氏と盛田氏、二人の柔軟な頭が次々と発明を生んだ。
耕すのは、土を掘り返したり反転させたりして、土壌を柔らかくして、作物を育ちやすくするため。
頭も柔らかくすることで、発想がいろいろ生まれ、発想したアイデアを行動してみることで人は成長していくことができる。
生まれたときから頭が固い人はいない。
歳をとるから頭が固くなるわけではない。
知識や経験によっていろいろ先入観を持ってしまい、行動をしなくなることで段々と頭が固くなってくる。
世界は自分が考えているよりも大きいものだ。
自分の知らない世界はまだまだたくさんある。
先入観を捨て、頭の中も耕し、柔らか頭で行動し、夢の実現に向けて進んでいきたいと思います。
私は、どれだけ鍬を持って耕してきただろうか。
私は、どれだけ夢を実現する努力をしてきただろうか。
私は、努力が空回りしていなかっただろうか。
私は、夢から夢を追いかける日々を過ごしていたのではなかっただろうか。
私は、鍬を持って耕しながら夢を見ることをしてきただろうか。
反省しきりであるが、だからこそ、これからは、揺るがぬミッションを持って、現実を見据えて、100歳まで、あと28年、100歳現役で生きていきたい。
そんなことを考えた。
人生は有限だ。いつかこの世とおさらばする。人生100年と考えると、私はあと28年2ヶ月。長いようで、あっという間に過ぎてしまう気がする。
今から28年前と言ったら私は43歳だ。稲盛和夫さんとの邂逅があって、金融自由化の荒波が銀行を襲い、銀行は、渋沢栄一の『論語と算盤』とは真逆の展開を余儀なくされた。そして、私の若気の至りもあって、44歳6ヶ月で銀行を辞めた。
それから私の七転八倒、紆余曲折の人生が始まった。
もし銀行を辞めなかったら、私はごく平凡な、つまらない人生を送っていたことだろう。銀行でどこまで偉くなっていたか、たとえトップになっていたとしても、今から考えるとワクワクする人生を送ることができたとは到底思えない。組織のトップになることは、今の私の価値観からすれば、全く魅力的なものではない。
結果、妻子に迷惑をかけたが、嘘偽りなく、私は44歳で銀行を辞めて正解だったと思っている。
それは、私がこの四半世紀、幸せの4つの因子(①やってみよう、②ありがとう、③なんとかなる、④ありのままに)を持って生きてきたからだ。
4つの因子を持ちながら、愉しく、面白く、有意義な28年間を過ごしてきた。28年間は全く長いとは思わなかった。あっという間だった。
これから100歳まで、この"あっという間"をもう一度繰り返すのだ。そのあと、元気ならば120歳までと思っているが、そんなに生きたら家族に迷惑がかかる。これ以上家族に迷惑はかけられない。
おまけの人生だから、ちょっとだけ一休みして次の世に旅立ちたい。
生涯現役とは言うまい。100歳現役で、ちょっとおまけがついて、惜しまれながらこの世からおさらばする。これが、私が目指す生き方だ。
鍬を持って、汗水流して耕すことと、闇雲に働くのではなく、現実を見据えた上で、夢を追いかけるこれからの28年間の第二生でありたい。
能登の創再生の応援は、天が私に与えてくれた素晴らしいミッションだ。命を惜しまず、命を大切にして、28年間を全力疾走しようと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)