地方創生は人財教育から
11月25日に能登から帰って来て、26〜27日と二日が経った。ようやくバタバタは収まり、落ち着いてきた。
やはり、いつも馴染んだ東京の事務所と自宅はどこか落ち着く。そこへ行くと、まだ能登はそうではない。落ち着く住処がまだ決まっていないことが大きい。そして、やっとOUEN Japan のスタンスとミッションの果たし方が見えてきたところだ。やはり、一人前になるためには、12月から来年3月末までの4ヶ月間の時間は必要だろう。
二拠点生活とは、どちらで住んでも、その拠点はフッと落ち着くことができることが必須だと思う。4ヶ月を掛けて、能登が東京と同様の"フッと落ち着く"拠点になることを目指したいと思う。
東京でOUEN Company の皆さんとお話しするのは能登に関することばかりになった。そこから、思わぬ展開が見えてくる。能登に関するビジネス以外に飛び火するのだ。能登が発進基地となって、ビジネスは留まることなく拡がっていく。
そういう意味では、今までの私はどこか根無草だったように思う。
人と人、企業と企業を結びつける接着剤というキャッチフレーズが私の個人会社である南青山ビジネスパートナーズであり、その対象が企業だった。
その延長に、日本人大学生や来日留学生を応援するNPO OUEN Japan がある。
人と人、企業と企業を繋ぐビジネスマッチングは、業種を問わず何でもありだが、それも根無し草のため焦点が定まらない。"何でもありは何もない"ということなのだ。
OUEN Japan は、日本人大学生・来日留学生と地方の企業を接着剤として結びつけ、その結果、双方が協働して地方創生に取り組むというのが、私が描いた理想のNPO活動だった。しかし、それも焦点が定まらず、なかなか本丸の地方創生の応援には程遠かった。
能登半島地震を契機に、能登半島が私とOUEN Japan のコアになった。能登という日本列島の盲腸のような地域、日本の超過疎地がコアになったのだ。
それは能登に閉じこもるという縮小均衡を目指すものではない。その真逆で、能登をコアにして過疎地のモデル地域として、そのありようが日本全国に拡がっていくという拡大均衡を目指している。
能登で、私はビジネスの理想のあり様である"ビジネス=ボランティア"を目指したい。私なりの社会起業家を目指そうと思う。
私は72歳の老体であるが、まだまだこれからだ。古稀を機に生まれ変わって、まだ齢2歳の赤ん坊である。第一生の成功や失敗の経験があることで、闇雲に突っ走って一体何をしているのか分からないということはなくなってきたように思う。そして、人の力を借りる術も身に付けてきた。ハードとソフト、両面のコスパを追求する。
中能登町では不登校の話が出ていた。中能登町の児童生徒は約1200人だが、その内40人強が不登校の児童生徒だとか。率にして3%強だが、その比率は急激に高まっているそうな。私の幼い頃は、いても1学年に1人もいれば多いほうだった。
先日、専門学校、私立通信大学のトップの方にお会いした時、「都会ではそんなものではない。児童生徒の約半分が不登校という学校も珍しくはない」と聞いて耳を疑った。
親は失われた30年時代に育てられたため、勝ち癖が付いていない。人生を全うに生きる勝ち癖を身に付けていない。だから子どもに、"人生で勝つ"ということ、"真っ当に生きる"ということを教えることができない。力強い親の背中を見せることができないのだ。だから、自ずから子どもはひ弱になる。
私の後半生のミッションは明確だ。人を育てることだ。"人材を人財にする"ことだ。学力も大切だが、それは手段でしかない。目指す目的は、"生きる哲学を持った人財を育てる”ことだ。その大前提に、こう言う私は、真っ先にそのような人財にならなければならない。
齢72歳、第二の生の2歳。まだまだ青二才だ。これから先、30年、あわよくば50年の人生がある。
自らが育って、並行して人を育てることだ。深沈厚重な人間を育てることだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)