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第ニ生は“海鵜”を目指す

道端弘子さん(鵜様道中の宿保存会 事務局長)から、ありがたいメールをいただいた。
そのお褒めと励ましのお言葉は、私の第二生のミッション〜能登の創生の応援〜を果たすという思いを、ますます強固なものにする。

[道端さんからのメールから抜粋]
海鵜は渡り鳥です。
今度、12月13日には移動教育動物園の園長さんから、「海鵜〜渡り鳥の生態〜と鳥の羽根の仕組みについて」を(石川県中能登町)良川の“鵜宿”で公演予定です。
私は、ふっと思いましたが、広範囲でご活躍なされる小林さんは“海鵜”と似ているところがあるなぁーと。
海鵜は“神鵜”となり、民衆に光と希望をもたらします。
その一夜の宿泊場所が、“良川の鵜宿”なのです。


道端さんは、私が海鵜に似ているのだと。
世のため人のために尽くす人間になれとの叱咤激励をいただいたと思っている。私には、そのような器量人になることができる素養があるのだと自信を持って生きていこう。自分に自信を持つことだ。自尊心を持つことだ。
ご期待に応えられるように、努力精進していきたい。

能登半島南部の羽咋市に邑知潟がある。邑知潟干拓は、昭和23年から20年の長きに亙り行われ、昭和43年に完成した。私が能登に住んでいた中学3年生の時に、漸く干拓事業は完成したことになる。今は細長い太い川のような潟になっている。

神話では、この邑知潟に毒蛇(大蛇)が住み着いて住民を苦しめていたそうな。それを鵜が「ここに毒蛇がいる」と毒蛇の住処を住民に教えて、それで毒蛇を退治することができたのだそうな。
それで、鵜は“鵜様”と呼ばれて、神様として貴ばれるようにになった。
その鵜に感謝する祭りが鵜祭りだ。

鵜様道中は、羽咋市〜中能登町〜七尾市に亙る邑知地溝帯の東部にある七尾湾に面した鵜浦海岸で鵜を生け捕り、2泊3日を掛けて、中能登町を経由して、羽咋市の氣多大社まで、鵜様を運ぶ道中のことだ。

12月12日に鵜を生け捕り、12日は七尾に泊まり、13日に中能登町良川の鵜家本家に泊まる。この鵜家本家が鵜様道中の宿(鵜宿)と言われる。
鵜宿を出て氣多大社に向かい、16日早朝に氣多大社にて鵜祭りが執り行われる。そして最後に、鵜様が海に放たれるのだ。
海鵜は鵜様である。世のため人のために尽くす神鵜なのだ。

道端さんは、フーテンの寅さんのようなこの私が海鵜に似ているのだと仰る。ありがたい。最大級の誉め言葉だ。
日本には、“豚も煽てりゃ木に登る”と言う諺がある。豚も木に登るのだから、この私も木に登るように、素直に喜んで、これからの後半生を“ふるさと能登”のために尽くしていきたいと思う。

私の第二生は、あと10年~20年か。いや、今は人生100年時代だ。あと30年、102歳まで元気で頑張ろう。何とかなる。100年現役で能登のために尽くそうと思う。

”中能登町地方創生アドバイザー”は、中能登町だけのために尽くすアドバイザーではない。
中能登町の地方創生の最高のコスパを追求するためには、近隣の基礎自治体を中能登町と同様に応援することが必要だろう。

自分のためは人のため
人のためは自分のため

順境よし 逆境なをよし
苦は磨き砂
自利利他
情けは人のためならず
人は人のために生きる
先憂後楽
苦を楽しむ

私が自分だけのために働いているときには、自分だけしか私のために働かなかった。
しかし、私が人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれた。

ベンジャミン・フランクリン

ビジネスで成功する一番の方法は、人からいくら取るかをいつも考えるのではなく、
人にどれだけのことをしてあげられるかを考えることである。

デール・カーネギー

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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