川をめぐる随想~『枕草子』の手法~
▶明日をも知らぬ、飛鳥川
「河」といって、清少納言が真っ先に挙げるのは「飛鳥川」の名。大和の国(奈良)の歌枕です。
河は 飛鳥川。淵瀬定めなく、はかなからむと、いとあはれなり。(『枕草子』「能因本」222段)
飛鳥川の「淵」と「瀬」の定めがなく「変わりやすい」というのは、『古今和歌集』に入る次の歌に拠っています。
世の中は何か常なるあすか川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる(『古今和歌集』雑下・よみ人知らず)
歌の内容は〝昨日は深い淀み(淵)であったところが、今日は急な流れ(瀬)に変わる。そんな「飛鳥川」の明日のことがわからぬように、この世に一定不変のことなどありはしないのだ〟というもの。「あすか川」に「明日」を掛けて詠んでいます。
ところが、清少納言は、当時よく知られたこの古い歌の内容から翻って、河そのものが「どんなにはかないことだろうかと、しみじみしてしまう」と捉え返してみせている。
〝はかないこの世の喩え〟として歌に詠まれる河の名が、単なる「比喩」でも「歌枕」でもない、はかないこの世の実像として蘇る瞬間です。
▶『方丈記』の冒頭に繋がる「景色」
『枕草子』が描き出した「飛鳥川」の景色は、鎌倉時代の初めに書かれた鴨長明『方丈記』に受け継がれたと言えるでしょう。ただし、そうした「繋がり」についてはほとんど知られていないので、意外なことに思われるかもしれませんね。
あまりにも有名なあの冒頭の一節です。
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。(『方丈記』)
さらに、室町時代の歌僧・正徹がその書『正徹物語』で「『枕草子』を継ぎて書きたるもの」と述べた兼好法師の『徒然草』は、鎌倉時代の終わりに成立。
あわせて「日本三大随筆」と称されますが、随想の文学の魁である『枕草子』の世界観と、あえて言うならその「思想」は、つづく二つの作品とは大きく異なるものでもありました。――そのお話はまた。
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