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定子の「傘」


▶新しい解釈

 その名も〝定子の「傘」〟と題した私の論文では、従来、「お前の傘に隠れて、あかつき方、部屋から出て行った男は誰だ?」と問いただすものと考えられている「定子のふみ」の真意について、通説とは異なる、まったく新しい解釈を提示している。
 それは、定子が清少納言に差し出した、「私の傘を貸してあげましょうか?」という「助け舟」だったのである。当該の拙論は、ネット上でも公開されている。初出は、2011年3月、イラスト入り。定子と清少納言がやり取りした「絵手紙」を再現している。
 清少納言は、その朝、ひとに傘を貸してしまったばかりに雨に降られて困っていたのだ。根も葉もない「噂」の雨だ。定子は、清少納言に「そうなのです。ひどい濡れ衣なのですよ」と答える機会を作ってやった。

 ところが、片渕須直というアニメ映画監督は、私のこの解釈とまったく同じ内容のものをなんと自分の「新知見」として、このたび、タイッツー上に掲載したのだ。片渕氏は公的研究機関である国文学研究資料館のメンバーとして、自分の曰く「考証」を、すなわち「学説」として標榜しているのであるから、その意味でも先行研究について無視してよいはずがない。
 そもそもこれは「著作権侵害」であり、商業主義のもとで行う、さらに重大な #研究不正 だ。

拙論(2011年3月)


片渕須直(タイッツー)

▶「能因本」「三巻本」併読の見地

 まあ、怒りますよね。もう誰も読まない「能因本」を長年、地道に研究することによって獲得した自説が、「能因本は分が悪い」などと平気で言って寄越す人物にかすめ取られてしまうのだから。

注:有名な『枕草子』にも種類があって、よく知られた形の主要な伝本には、かつての流布本である「能因本」と、定家の手を経た「三巻本」とがある。教科書などで、いま皆さんが読んでいるのは「三巻本」です。
 「三巻本」には、お手本を横に置いて引き写したような「原典主義」的傾向がある。当時の女性の言語営為とはかけ離れた本文や表現を含み、あえて言えば男性的です。

追記:だからと言って、佐々木孝浩氏の主張のごとく性急に、三巻本を「定家本」と呼称したり、捉えたりしてはなりません。その瞬間に、定家以前・・の問題である『枕草子』の本文研究も作品研究も終わってしまいます。中身を読まずに「奥書」だけで判断するのはそもそも無理です。その上、「能因本と三巻本の表現差」について精査し、三巻本における、定家の和歌等との一部表現的な近似性を指摘した拙論をあえて「なかったこと」にしている時点で研究としても不誠実です。
さらに他の研究者によって、佐々木氏の所説の蓋然性を支える根拠として、当該の拙論が挙げられていることからも、この警告はぜひマジメに受け取って欲しいと思っています。
※詳しくは、拙著『続・王朝文学論』(新典社 2019年)、590~591ページ参照。

※筆者注記
拙論(2011年3月)

 片渕須直氏は、三巻本至上主義の研究者・萩谷朴に傾倒している。すでになされた反論を「なかったこと」にして、その「喪服調製」説に拠ったアニメ映画を「もっとも蓋然性の高い学説」として制作中だ。なにもかもが、おかしい。

注:「喪服調製」説とは、『枕草子』の「ねたきもの」(しゃくにさわるもの)の段に収められた滑稽譚、いわゆる「南の院の裁縫」の条をめぐる一説。定子の側近女房たちが大笑いをしながら競争で、しかも縫い間違いが発覚してすねたり放り出したりしながら縫っている衣が、「定子着用の喪服である!」とする珍説。しかも、能因本で読めば、定子の父・関白藤原道隆がまだ生きているうちから喪服を縫って大騒ぎをしていることになってしまう。
 つまり、「南の院の裁縫」の条に描かれている一件は、道隆臨終の場面などではあり得ないのだ。これは『枕草子』中、もう一箇所だけ出て来る「南の院」と同じ場所&出来事なのです。「南の院の裁縫」は、中関白道隆の盛時を象徴する晴れの儀式、「積善寺供養」の折の出来事。いわば「お祭りの前」の興奮を伝える愉快で滑稽な「縫い物競争」のワンシーンです。

※筆者注記


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