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緩和ケア認定看護師が癌になって伝えたいこと

おうちの診療所の緩和ケア認定看護師として、訪問看護や診療で多くの癌患者さんのサポートをしていた日浦さえ看護師。2023年の冬から、自身の癌再発に伴う自宅療養をされていました。ご本人の希望により、癌患者、そしておうちの診療所の患者の立場になって今伝えたいこと、託したいことを聞きました。


 おうちの診療所で働き始めて半年ほどがたったころ、口腔内の違和感に気づきました。口腔外科クリニックを受診すると、「良性だとは思いますが、念のため検査してください」ということで、病院で検査することになりました。病院の歯科で診察した結果、舌下腺癌だと分かりました。「癌化が強い可能性がある」とのことで、そのまま病院で治療することに。甲状腺にも癌がある可能性があり、左側のみ摘出。その後は半年おきにCTでのフォローアップをする方針になりました。

 いざ、自分が癌患者になってみて思ったのは、何日くらい休むことになるんだろう、自分の患者さんはどうなるんだろう、オンコールはどうするんだろう、という仕事への心配でした。1年は問題なく経過し、転移の指摘もありませんでした。なのでその後も今まで通り勤務し、毎日晩酌もして、いつも通りに暮らしていました。

起きてしまった腰椎への転移と痛み

 中野院で癌患者さんを集中的に診る列に付いていたある日、よく電話をくれる患者さんから連絡があり、夕方に訪問しました。そのときカバンを持つ姿勢が悪かったのか、背中にグキッという衝撃が走りました。痛みはそこからずっと続きました。痛み止めを飲んでも夜中に悲鳴を上げるほど痛くなる日がありました。そんな日も朝には痛みが引くので、何だろう?と思いつつ、普段通りに働いていました。今思えば、どうして骨転移に思い至らなかったのだろうと思いますが、そのときは気づきませんでした。

癌になったときのことを話す日浦さえ看護師

 冬のある日、「お孫さんの結婚式に出席したい」という患者さんをサポートするために訪問看護を実施。「思い出の銀杏並木を見たい。ぜひさえさんと行きたい」と言ってくれる別の患者さんとも、「やらなきゃいけない」という思いで訪問看護として同行しましたが、この頃にはかなり体調が悪くなっていました。この翌週、整形外科を受診し、MRIを撮影。「早く治療しないと麻痺を起こすかもしれない」とのことで、手術を勧められました。放射線科の先生も、「できるだけ早い方がいい」とのことで、腰椎転移検査と放射線照射を同時に実施。結果、腰椎への転移が発覚しました。

 このとき、余命として整形外科には1年から1年半と言われ、放射線科には3カ月から半年と言われました。そもそも体が痛すぎて仕事どころではなく、患者さんに十分なこともしてあげられないと判断して、再発が判明した日から仕事は休むことにしました。

「抗がん剤はしない」家族と同僚の動揺

 治療については、抗がん剤をするかどうかという話になりました。もともと、治療してくれている医師は、私の意思を聞くまでもなく実施しようとしていましたが、「この段階で抗がん剤治療をしても効果が得られるか分からない。寿命を半年くらい伸ばすために、どんな副作用が出るか分からない治療をするのは本意ではない。残りの時間を、嘔吐しながら過ごすのは希望しない」と断りました。

 今ときどき行っているのは、緩和目的の放射線照射です。効果がどれくらい持続するかは分かりませんが、骨の痛みは一時的に改善します。たまたま私は効果が得られるタイプだったのだろうと思います。

 私は自分の臨床経験もあって、ここまでわりと動揺や迷いなく判断してきたのですが、家族は同じようにはいかなかったようです。最初、夫に「癌だったみたい」と伝えたときには「ふーん」という感じでしたが、再発はショックだったようで、夜中に気づいたらおいおい声をあげて泣いていたことがありました。私の兄妹も看護師資格を持つ医療職ですが、一番下の妹はとてもショックを受けていました。兄も、ときどき涙ながらに「心配しているよ」と電話をくれます。家族にとっても、私の再発はとても大きな出来事でした。

 職場であるおうちの診療所の経営陣には、腰椎転移検査をした日に「再発かもしれない」と連絡しました。そのあと、実際に再発だったことが判明したのですが、痛みが強いと訴えても病院はなかなか十分な量のレスキュー薬を出してくれません。おうちの診療所の在宅医療に切り替えてからは、レスキュー薬を出してもらえるようになったのですが、そこで院内のスタッフが処方箋を目にすることになりました。私としては知られても構わなかったのですが、正式に伝える前に、業務の中で私の病状を知ることになり、スタッフのみなさんには動揺を与えてしまって申し訳なかったです。

再発後の不安は「お金」と「痛み」

 個人的に、再発後に心配だったのは、お金がかかることです。医療費自体は高額療養費制度を使いますが、書類が煩雑ですし、大きな出費であることは変わりません。傷病手当を受給してはいますが、社会保険は毎月支払わないといけません。ただ、傷病手当の手続きをすぐしてくれたり、高額療養費制度を知らなければ教えてくれたりと、理解のある職場で働いておくことは大事だなと思いました。

おうちの診療所のサポートを受け自宅療養に

 これまで、癌患者さんの痛みとは仕事で向き合ってきましたが、実際自分が患者になってみて、「こんなに痛いのか」と思いました。医療職でもない方で、麻薬を処方されて喜んで使う方はいないと思います。できるだけ使いたくないと思うのではないでしょうか。病院では毎日30人ほどの癌患者さんを診ていましたが、初発でも再発でも「麻薬を使いたいです!」という方はいませんでした。在宅医療で癌患者さんを診ていたときは、病院で処方されたオキノームを「飲んだら効いたんだけど、眠くなって怖かったからやめた」と200本ほど飲まずにため込んでいる方に会ったこともありました。

 でもやはり、痛いときは無理せずレスキュー薬を使ってほしいです。痛みは人それぞれかとは思いますが、やはり麻薬は癌の痛みにとても効果があります。この痛みを我慢しながら生活するのは難しいと改めて思いました。また、眠気や吐き気については1週間から10日ほどで必ずなくなります。医療職には、処方だけでなくこういうこともお伝えいただければと思います。

おうちの診療所の患者になって

 当院の患者になってみて思ったのは、しっかり痛みの訴えを聞いてくれる医師の重要性です。なんでもスピリチュアルペインにしてしまい、痛み止めを増やしてくれない医師もいると思います。訪問看護師である私の妹が一度、おうちの診療所の石井先生の診療に立ち会ってくれたことがありました。妹は、「私は療養のために地元に帰ってきてほしいと思っていたけど、お姉ちゃんがそうしない理由が分かった。あんなに話を聞いてくれる訪問診療の先生がいるんだね」と言っていました。患者の立場として、相談しやすい医師を見つけること、相性のいい医師を探すことは重要な点だと思います。

 そして何より、自宅療養の良さを改めて実感しました。病状的に、病院としては当然入院するだろうと考えていたようですが、どうしても帰宅したいとお願いしました。家に帰ってきて家族に会えたこと、具合が悪く自分は食事が取れなくても一緒に食卓を囲めることは、代えがたい喜びです。おうちの診療所のスタッフも、悩み相談をしたり、雑談したり、ただご飯を食べに来たりとたびたび家に来ます。スタッフが10人以上まとめて来たときは、たまたま仕込んでいた大量のおでんを食べつくされました。痛みが強いときは会えないけれど、そうでないときはうれしいです。

痛みが伝わる癌用のオリジナル手帳を作りたい

 こういうことも含めて、せっかくの残された時間に、痛みによっていろんなことができなくなるのは望ましくありません。これが癌の痛みなのか、骨の痛みなのか、神経の痛みなのか。重だるさがある痛みなのか、ズキズキする痛みなのか。どこのどんな痛みが、どれくらいあるのかを診察でちゃんと確認してもらって、しっかり痛み止めを増量していくことが重要です。処方された薬はちゃんと使ってほしいし、痛みが取れないのに処方してもらえないときは我慢せずに伝え、善処されない場合は他の医師に相談するのも手だと思います。

 おうちの診療所では、在宅患者さんの病状などを記録する「ケアを結ぶ手帳」をオリジナルで製作し使っています(参考記事:こんなクリエイティブ作っています、使っています)。今は、私の緩和ケア認定看護師としての経験と、患者としての経験を反映した癌患者用のケアを結ぶ手帳をみなさんと製作中。あれこれ意見をお伝えしています。苦痛を取り除く治療を、よりサポートできる手帳になればいいなと思っています。

インタビューの最後に、診療チームと取材チームで記念撮影

【謹告】
日浦さえ看護師は、2024年11月26日に自宅で本インタビューを実施したあと、2025年1月10日に永眠いたしましたこと、謹んでご報告いたします。
生前、皆様からいただきましたご厚情、ご指導、ご鞭撻に対し心より感謝と御礼申し上げます。当インタビューは、故人の遺志と、ご家族の許諾をいただき公開いたしました。

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https://note.com/ouchino/n/na2408db6b304


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