紙の辞書も、ずっと恋おしい
電子辞書の快適さを知ってしまうと、安易に戻れない。戻れないから、紙の辞書との格闘が懐かしい。思った情報にすぐ行きつかない。だから必死で探す。自分の持っている辞書と指がすっと友達になる感覚。
大学の先生が「辞書を使い込むと、必要な情報のところで紙がめくれるようになる」と熱弁されていた事を思い出します。私は学部生時代にそうなってた。六法全書片手に頻繁に必要な個所をマーキング。付箋を貼るそんな事の繰り返してたら、そういう風に辞書をパラパラ操れるようになっていた。
なれって凄い。驚きと共に六法全書といかに濃密な時間を過ごしたか、と感慨深い気持ちも半分。憧れの仕事につけなかったので苦い思い出も半分。すっかり紙の辞書から遠ざかっても、ふとまた使ってみたいと感じる事は多い。
あれから随分の月日が経って、学問に打ち込む情熱も色あせてしまった。寂しい気持ちがないと言えばうそになる。辞書を使う事で、ゆっくり過去の自分と向き合う。そんな時間が欲しいのかもしれない。
挫折や嫌な思い出は、もう自分の中でもゆっくり薄れていって残るは懐かしい気持ち。それといくばくの公開のみ。別のステージで頑張ると決めたら、また神の媒体が恋しくなってしまった。
紙から電子への過渡期で過ごした私の学生時代。電子辞書を使いこなす人をうらやましいと思ったりもしました。不器用で紙媒体の辞書を使い続ける私も、今では苦労しながらスマホも使っている。
成長もした反面どこかに大切な事を置いてきてしまったような気がしないでもない。今度は心の隙間を埋めるために、また紙の媒体へふらっと里帰り。デジタルな部分とアナログな部分。両方行ったり来たりする振り子のような生活が、最も自分らしい。
デジタル比率が上がると、紙の本を無性にたくさん読みたくなる。自分の中で上手くバランスをとることがようやく出来ているのかな。ゆっくり1日を過ごせる日は、いつしかそんな事を考えます。