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「親の会」に救われた話

障害児、というと嫌がる方がいるかもしれませんが
社会一般でいうところの「ふつう」ではない子育てをしていると
困りごとも「ふうう」ではないことが多くて
そんな時に助けになってくれるは、保育園でも、行政でも、福祉窓口でもなく
「親の会」だったりします。

親の会とは、その名の通り「親」が集まる会なのですが
ここでは子どもの障害種ごとに親が集まって、意見交換や学習会を開催したり、行政に働きかけているタイプの親の会の話をしようと思います。

私が親の会を知ったのは、上の子が年中の冬のことでした。
市の広報紙に小さく載っていた「発達障害の親の会○○、先輩ママの話を聞く会、託児あり」という記事を見て、メールをしたのが最初でした。
多動と指示が通らないことを指摘されて、市で開催されている療育教室に通っていたけれども、いまいちなんというか、効果も分からないし、この先どうなるのかイメージもわかないし、保育園からは「みんな一緒に育ちます」とかなんとか言われるし…
と不安ばかり募っていた頃でした。

当日、話を聞かせてくれたのは中学生と高校生のママでした。
幼児期、小学校中学校の時期、そして進路、様々な具体的なエピソードを聞いて、なるほど、これは大変だ、、、と思ったことをよく覚えています。
知的障害ではないので支援級(知的障害)には入れない。でも35人や40人の大きな集団で生活することは困難となると、学校には実質居場所がない。適応障害、不登校、二次障害、大人に対する敵意、世の中に対する不信感、正直怖いなと思いました。
そしてこの時に思いました。私はこの子に最大限の公的な支援を付けよう。
できるだけ小さいうちから、こじれる前から、出来る限りのことをしよう。
そうしないと、成長してから出てくる「ひずみ」が、大きくなってしまう。今のうちに、まだ大人にや世の中に対する不信感を持たないうちに、世の中には信頼に足る人たちがいて、その中で生活できる環境を作らなければ。
そう、ほとんど心に決めてしまいました。誓うような気持でした。
それくらい大事なことだと考えました。

それから3年ちょっと経ちました。
当時、思った「最大限の公的な支援」は、イメージとちがう、もっと脆弱なものでした。
いや、違うな。
息子が、小学校の支援級・学童保育所・放課後等デイサービスの想定する「知的障害のない自閉症(発達障害)児」のレベルを超える大変な子だったのかもしれない。
そんなこと私も想定外で、どうにかしなくてはいけないのにどうにもならない日々で、それを支えてくれたのはやはり「親の会」でした。

会長さんに「学校の先生と話をしてもなんともならん」と泣き言をいえば、校長先生やスクールカウンセラーとの面談を勧められました。
その結果「どうにもならんて言われた」と泣きながら報告すると、教育委員会の主事さんとの面談をセッティングしてくれました。
主事さんとの面談には同席してくれて、その後は電話とメールで「相談にはのるけど、決めるのは本人なのよ、お子さんなのよ」とあくまで子どもの事は子どもが決める必要があるのだと釘を刺されました。
まだ幼い子どものことを守るべきは私なんだと力んでいた私を、頑張るところはそこではない。子どもの意思決定件を守ることこそ、頑張らないといけないのよ、と優しくたしなめてくれました。

会長さんだけではありません。子どもが問題ばかり起こすから参っていると愚痴をこぼせば、何人もの役員さんに「問題って、誰にとっての問題?」と聞かれました。「学校の、先生が勝手に設定している行動規範に則した行動をしないと問題?それって誰の問題?」「この子のできること、できる内容に変更してください、と求めることも合理的配慮じゃない?」「支援級で、それなの?20年前の普通クラスと変わらないわねぇ」「市役所で相談してみた?管轄が違うとか言われても良いのよ、とにかく困ってるんだって言いなさい。言わないと困ってることがなしにされちゃう。困ってるんだって言い続けないと、困っている人はいませんってことにされちゃう。それだと困るでしょう?」「議員の〇〇さんは教育委員会の□□さんと仲がいいから、ちょっと連絡してみようか」
なんでそんなに力強く、優しく、なんでも知っていて、広い人脈をもっているんだろうか。魔法使いのような先輩ママばかりでした。
先輩ママと言っても、お子さんが小学校高学年から成人されている方まで。本当に幅広く、この地でずっと「大変な子育てをしてきて、行政とやり合ってきているのよ、私たち」という方々でした。この先輩ママたちに、励まされながら、優しく諭されながら、たまにはそんなんじゃいけないと叱咤されながら、なんとかここまでやってこれました。

少しづつですが、私自身、学校で、市役所で、教育委員会で、保健所で、そして市議会議員さんのもとで、市長の元で…色々な話をして、懇談をして、お手紙を出し、要望を出し、時には泣いてしまうこともありながらも、色々な意見を出せるようになってきました。
子どもを連れて行ったり、家族に預けたりしながら、会合やイベントに参加するようにしてきました。

そしてこの春から…
役員の末席として運営に参加させていただくことになりました。
役員さんの子どもたちがみな進級して、小学生の親がいなくなってしまったことと
市内を自転車で動けるフットワークの軽さを見込んでもらえたようです。
正直負担が無いと言ったら嘘になります。
でも、でもね、私自身が先輩ママの存在に救われたように、これから子どもの障害が分かって悩んだり困ったりしている「これからのママ」の、何かの力になれるならば、あの時の私を救うことにもなると思うんです。
だから、何ができるか分からないけど、ちょっと頑張ろうと思います。

#この春チャレンジしたいこと

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