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誰かの一番になりたかった 0608

求職中のわたし、本日公開の邦画「違国日記」を見てきた。
サブ主演(?)の早瀬憩さんのお顔がとても好みだ。

両親を交通事故で亡くした15歳の朝を、小説家をしているコミュ障な叔母である槙生が引き取り、共に日々を過ごすところから始まる。
「あなたを愛せるかどうかはわからない。でもわたしは決して、あなたを踏みにじらない」
槙生は、朝の母親(=姉)を心底憎んでいた。

私はこの映画を観て、祖父が亡くなった日のことを鮮明に思い出した。
朝は、両親が亡くなったことに対して現実感を持てず、涙を流すことができなかった。
私もそうだった。
祖父が亡くなったと聞いたとき、なんだかとても遠い国で起きていることのように感じて、悲しいとか苦しいとか、そんなチープな感情はこころの中に全く住んでいなかったのだ。

現実を受け止めるのには随分時間がかかる。
祖父のいない食卓、祖父のいない和室、もう使われることのない座椅子、遺影の中には仏頂面の祖父がそこにいた。
なんだかとても不思議だった。

朝は槙生と過ごす中で、様々な人々に出会い、今まで触れてこなかった奥底にある感情を知る。
それは少し歪で、とても優しく、おそらくありふれたものに違いない。

歌を歌うのは好きだけど、軽音部で一番になることはできない。
ずっと仲良しの友人はいるけど、彼女の一番になることはできない。
槙生ちゃんとこんなにも一緒の時間を過ごしてきたのに、私に隠し事をするなんて。
私は誰の一番にもなれない。一番なんてなれっこない。

誰かの一番になりたい。重たい感情の押し付け合い。苦しいね、朝。

それでも朝は、朝自身の一番であることに違いないんだよ。
他人の感情を理解するのは難しい。知りたいと思うことはきっと間違ってない。けれど、全部を分かり合うのなんてできっこないから、その心に宿った悲しみも愛おしさも、ちょっぴり苦い思いも、全部ひっくるめてあなただけのものだよ。

両親の死を受け入れ泣きじゃくる朝を見ていて、抱きしめたい衝動に駆られた。槙生が私に変わって、ぎゅっと抱きしめてくれたからいいんだけど。

私は私の一番であれているだろうか。
こんな私でも、誰かの一番になりたいと思う日が来るだろうか。
それは多分、噛み切れない感情のひとつだ。

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