僕が読みたいのは“あなたのこと”です。
noteやカクヨムで他の方の作品読んでいると気づくことがあります。
なんか文面から勢いよく書いたんだろうな、とか熱が伝わってきたりとか、逆にここはすごく意識してかいたんだろうな、とか。
こういう文って読んでいてやっぱ迫力みたいなものがあって、それは全く違ったりするけど、僕は前者のほうがスキ。
というか文って前者みたいであるべき、というか読む側のこちらとしたらその人の雑念みたいなものが読みたい。
例えるなら他所行きのビジネスシューズなんかじゃなくて、深夜にコンビニ行くときに履いてる靴のほうが見たい、的な。
あ、それ選んじゃうんだ、的な。
だって学術系の論文とか読んでいて、中身ではなく文面が面白いか? って言われたらノーでしょ。
極端に言えば口語の雑な文章のほうが読みたいんですよ。
これって僕だけではないはず。小説とか読んでる人はわかってくれると信じている。だって一から十まで理路整然としていてもつまんないんだもん。
それより自分にだけ理解できればいい。みたいな頭の中そのまま印刷しましたよね? 的な文章のほうが、その人のことがわかる。
コンテンツ的な話でいうと、それこそ自分より話の構成が練られてて言葉巧みな、いわゆる商業作品のようなものって五万とあるじゃないですか。
だからこそどこで差が出るかと言うと、細かな例えだったり、同じ文でも言葉の順番が違ったり、そういう部分。
作家性ってそこに出るんだよ。
何が言いたいかというと、文章を書くというのは、こうあるべきみたいな平均的な規範からどう逸脱するか、っていう挑戦でもあるのです。ってこと。
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