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モヤモヤの正体を求めて旅してみた #1

どうも。
このnoteは私の気の向くままに読んだ本について感じたことを書いています。

モヤモヤの正体というユン・ウンデさんの本を読みました。

この本を読んで、自分を見つめた時の気持ちの棚卸しになります。
3つの章立てとなっています。
今回は1章で、「怒りの習慣」について投稿します。

お付き合いいただけると幸いです。

目次
1 怒りの習慣(今回投稿分)
2 自分を投影することで何かを慰める
3 私の中のモヤモヤ


1 怒りの習慣
自分に都合の悪いことがあると、よく怒る。
怒りが湧き出てくる。
人を責めたくなるし、八つ当たりしたくなる。
怒って、人にぶつけて自分の正しさを主張する。
今まで何度繰り返してきたか分からない。

私の母もよく怒る人であった。
だから、私は母に似て怒るのかもと生育歴を振り返った時もある。
でも、これは自分の身体がやってきたことだ。
自分で無自覚ではあるけど表現を積み重ねてきたもの。

怒りが悪いものだと思わない。
でも、怒りを発している自分が苦しいと感じるようになった。
正確には、感じれるようになってきた。

私の怒りは、何かに対する反発や反抗だ。
「本当は受け入れたくないけど、そうせざるを得なかったこと」

あなたは、したくないことを受け入れていく過程で「そういうものだ」「仕方ないこと」と割り切る人の価値観に出会い、自分の考えが否定されることはなかっただろうか。

私はそんな経験に傷ついたのだとこの本を読んで思った。
そして、この時の気持ちがずっと残ったままかもしれないと。

「したくなかったことを受け入れることで確立した信念は葛藤を生じさせる」
なぜなら「私が私でないものになる」プロセスだからです

『モヤモヤの正体』/ユン・ウンデ/ミシマ社

したくなかったものを受け入れることは、その時々の人間関係の折り合いや
仕事上のことで迷惑をかけないとか、何かを維持するために仕方なくした選択もあった。

物事を波風立たたせず、人の言うことに従ってきた。
その代わりに自分の気持ちを脇に置いてきたのかもしれない。

脇に置き続けてきて、わかってもらえてないという心細さというか、寂しさを抱えていることに気づいた。
わかってもらえてないという気持ちは溜まって、あからさまに分かるように表現するために悲しさと悔しさを混ぜて「怒り」で出るようになることも。

外圧によって変えざるをえなかったこれまでの痛みを思い出した反発・反抗だった。





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