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先生が先生になれない世の中で(36) ~人生を団体戦に~

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

人は、誰も信じることなく、自分を信じることができるのだろうか?

スポーツの試合で、「自分を信じて思いっきりやってこい!!」などと子どもを激励する監督を目にすることがある。ただ、それは子どもにとっては酷な言葉だ。まだ「自分」がない子にいくら自分を信じろと言ったところで、その子が急に自信を持てるはずがないし、自分の強さだけでなく、弱さも誰よりも知っているのだから。

ならば、子どもはどうすれば自信がつくのだろうか。
「信じることだ」
とK先生は言う。ただ、それは自分を信じるということではない。でも、もし自分が心から尊敬している人に褒められたらどうだろう。

「よくやった。」

先生のそんな一言が、生徒に魔法をかける。だから、生徒に自信をつけさせたいのだったら、まずは人を信じることを教えなくてはならない。

それは、K先生の剣道部の子たちを見ていてよくわかった。あの子たちは、自分を信じているというよりも、K先生を信じていた。先生に言われるように精進すれば、先輩たちのように強くなれると心底思っていた。大きな大会でも、K先生が「負けるわけがない」と言えば、子どもたちはどんな強豪相手でも臆さずに闘うことができた。先生に対する信頼こそが、あの子たちの自信そのものだった。

だって先生わらってたから。」
全中ベスト8をかけて死闘を勝ち抜いたCが放ったあの一言は、自信とは他信であることを象徴する言葉だった。

全中最終日も、Cは勝ち進んだ。決勝戦の前、入場ゲートでCはK先生にこう言った。

「勝っても負けてもこの試合が最後です。終わったら、応援席に一礼をしようと思うんですけど……。」

この場に及んでそこまで考えているのか……。
K先生は心打たれたそうだ。そして、Cの名前が呼ばれた。何千の観衆が見守る会場。入場する二人の心は澄んでいた。

決勝の相手は、地元である熊本県の代表選手。会場は、千葉からやってきたCにとって完全アウェーの状態だった。

試合開始から50秒。先に一本とったのは相手だった。湧き起こる大歓声。でもCは動じなかった。すぐに開始線につき、竹刀を構え、余韻に浸っている相手が開始線につくのを待った。そして、その30秒後には真っ直ぐな面で一本とり返し、最後は引き面で優勝をつかんだ。

それまで毅然と闘っていた姿とは打って変わり、K先生の所に戻ってきたCは涙でボロボロだったという。そんな状況でも、彼女は試合開始前に自分が言ったことを忘れていなかった。そうして二人は、応援席に向かって二度、深々と礼をしたのだった。

Cは、ある剣道雑誌の取材でこう話している。
「最終日は面を着ける前からずっと泣きそうだったんです。なんでかは自分でもよくわからないんですけど。もちろん、勝ちたい。けど、負けたとしても応援してくれたみんなが納得できる試合をしようと思って。そうしたら、試合が終わったときに自然と涙が出てしまって……。」

全国大会が終わった後も、Cは毎日練習に励んだ。K先生に、「日本一になったことに負けるな!」と言われつづけながら。そしてその3年後、茨城県の名門校に進んだ彼女は、全国大会(インターハイ)に出場し、高校でも日本一に輝いた。団体戦での優勝だった。

さらに10年後、彼女はこんな文章を書いている。

 私には、心から信頼できる大切な仲間がいる。それは本当に幸せなことであり、私を強くさせてくれる。そして、そんな仲間のおかげで、弱い自分も受け入れることができる。

 私の恩師が常に、「人生を団体戦に」と言っていた。当時、中学生だった私には、その言葉の本当の意味がわからなかった。

 自分の都合しか考えず、わがまま放題。嫌な事からとことん逃げる。そんな私を変えてくれた恩師に出会ったのが、部活動だった。

 「仲間のために戦え。」「自分のために行動してくれる人に恩を返せ。」技術指導よりも多くの時間をかけて人間らしさを教わった。

 そのことを初めて実感できたのは、中学生最後の夏。日本一をかけて挑んだ3日間、私のために沢山の人たちが応援しにきてくれた。「この人たちのために戦いたい。」その思いだけだった。日本一になった瞬間、うれしさではなく「感謝」の思いが溢れた。そして、私よりもまわりの人たちが喜んでいることに驚くと同時に、「人生を団体戦に」の意味が理解できた。

 中学校3年間で、仲間のために戦うことを教わった私が教員になった今、「人生を団体戦に」の意味を生徒に伝えたい。まわりの目が気になり、自分をさらけ出すことが苦手な生徒たち。都合のいい関係ではなく、互いに短所を受け入れ、補いあえる関係性を築き、本当の仲間と一緒に人生を歩んでほしいと願っている。しかし、このことを伝える難しさを日々実感している。だからこそ生徒たちと一緒に悩んで考え、共に人生を戦っていきたい。

鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。X(旧Twitter):@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2024年9月号からの転載記事です。


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