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コロナの時代の愛――Japanese Onlyな世界で(金村詩恩)

金村詩恩(ライター)

 まだ2月上旬だった。出勤すると、上司がホワイトボードに書かれた予定を消していた。
「こんにちは。どうしたんですか?」
「あっ、金村さん。実は、来週の中国出張の予定がキャンセルになっちゃってね」
先月下旬ぐらいからワイドショーで、切迫した表情の専門家が警鐘を鳴らしていたが、対岸の火事としか思っていなかった。しかし、予定が消されたわけを聴き、ウイルスをすこしだけ身近に感じた。
 「きょうなんだけど、明日の行事用の資料を作ってもらえますか? もうちょっとしたらAさんが来るみたいなんで、一緒に綴じる作業をしてください」
わたしに印刷原本を渡した上司は席に戻り、メールの返信をしはじめた。
 最終ページが印刷機の排紙台にすさまじいスピードで積みあがる様子に、この量は結構な時間がかかるだろうなと思った。さっき来たAさんには、印刷したプリントをはす向かいの空き部屋に並べてもらっている。刷り上がった紙の束を持っていくと、すでに作業をはじめていた。
 「はい。これで全部です」
 彼女の目の前に差し出した。
「ありがとうございます! あれっ? 指輪ですか? もしかして、彼女さんから?」
 右手薬指にはめていた、英字の刻印された真鍮の指輪に気づいたらしい。
「ああ…。これ? まぁ、そうだね」
 照れながら答えた。
「もしかして、結婚とか考えてます?」
「まぁ、一応…年も年だし」
「いいなぁ。わたしも早く結婚したいんですよね。できれば、日本人以外のひとがいいかなぁなんて。可愛い赤ちゃんほしいですし」
 最終ページを1枚取り、ホッチキスで綴じ、1ページ目から順に、ふたたび紙をとりはじめた彼女が話す。
 「彼女さんは純ジャパなんですか?」
最近、大学生のあいだで、純粋な日本人を意味する「純ジャパ」なんてことばが流行ってるのはすでに知っていたが、こんなときに聞くとは思わず、苦笑しながら答えた。
「日本人みたいよ。よく知らないけど。でも、相手にとっちゃ、在日のわたしと結婚するんだから、ある意味、国際結婚みたいなもんだよね」
「彼女さんにはすべて話されてるんですか?」
「大学時代の同級生だから、全部知ってるよ」
「じゃあ、国際結婚みたいな感覚なんですね。なにか悩むことってあります?」
「悩んでるのは…名前かな。金村って名字で在日ってわかるみたいなんだよね。ハローワークで職員と面接したとき、『帰化されてますか?』なんて訊かれてさ。『はい』って正直に答えたら『よかったです。仕事の幅が広がりますね』っていわれたんだよね」
「えっ! そんなこと言われるんですか?」
以前、パートナーに話したときとおなじ反応だったのを思い出した。
「割とあるよ。だから、婿養子か、法律が変わるなら別姓がいいかなって。金村家に彼女が嫁ぐわけじゃないし、在日の家で長男の嫁が苦労してるのとか見てきてるしね」
「なんか、進んでますね」
彼女のことばに気恥ずかしくなった。
「いや、親からよく…」
 理由を話そうと思ったとき、ズボンのポケットから振動を感じた。しまっていたiPhoneを取り出す。

“今月後半ぐらいに休みが取れそう”

なにか勘づいたAさんは「彼女さんからですか?」とにやけながら訊いてきた。「いや、別のひとかな」といって、スマホをしまった。

 作業が終わって時計を見ると、30分ぐらい残業していたのに気づいた。帰りの電車で「返事できなくてごめんね。きょうは忙しくて…」と返した。

“今週、どこ行く?”

 10日経っても、デートの場所は決まってなかった。
 LINEの返事を待つあいだ、することがなくてTwitterをぼんやり眺めていると、知っているモデルの出ている広告が流れてきた。たしか、テレビで父親がアメリカかヨーロッパの出身だと言っていた。広告のブランドの服を売っている店は上野にもあった。買い物に行くのもいいなぁと思ったとき、別のツイートが目に入った。
「Sorry! Japanese Only Sorry!」と書いた貼り紙の写真だ。上野のラーメン屋らしい。さらに「本日よりコロナウイルスの対策として、Japanese Onlyとなります。…差別では御座いませんので、ご了承下さい。」と店主の書き込みまである。
「さっきのモデルも俺も、店に行けないのかね? まぁ、俺は見た目じゃ、分からないかもしれないけど」
 吐き捨ててスマホをベッドに投げたとき、振動音がした。返事が来たのかと手に取ると、SNSで差別的な書き込みが話題になるたびに、いつも連絡をくれるひとからだった。彼も同じタイミングで見たらしく、ツイートとともにこんなLINEが送られてきた。
「ウイルスに国籍や民族、人種は関係ないはずなんだが…。東上野にはたくさんの同胞たちも住んでて、コリアンタウンもあるのに、商売してて、まさか知らないなんてないよな…」
 そのあとパートナーからの返事が来た。見ると、新宿で買い物したいとあった。上野じゃないことに、ちょっとほっとした。

“気をつけて行ってきてね。あまり飲みすぎないようにね”

 蕨のブックカフェに寄って、ひとと食事する予定をパートナーに伝える。すぐに来た返事を読み、クロスバイクで走った。暦の上では春になってしばらく経つのに、顔に当たる空気が冷たい。ブックカフェの店主と以前よく行っていた、レバー揚げの美味しい中国料理屋の前を通る。店には灯りがついておらず、看板も出ていない。どうしちゃったんだろうと思いながらペダルをこいだ。
「こんな時間にめずらしいね。なんか用事でもあるんですか?」
 店に入ったわたしに店主は尋ねた。
「芝園に住んでる記者さんが転勤しちゃうみたいで、送別会なんですよ。まだ待ち合わせの時間まで少しあるんで」
 席に着き、コーヒーを頼んだ。
「最近、どうですか?」
 慣れた手つきで淹れながら彼女は訊いた。
「職場が新型コロナの煽りを食らっちゃって。こないだやった行事も、いつもなら韓国から結構なひとが来るんですけど、出国制限だかで今年はまったく来なかったり、安倍ちゃんがイベント自粛要請を突然、言い出したせいで、予定してた行事が延期になったり…」
 愚痴がとめどもなく出てくる。言い終えたときには、目の前に頼んだコーヒーがあった。
「こっちもお客さんは常連だけになっちゃって、めちゃくちゃ暇でさ。そうそう、わたしたちが行ってた中国料理屋も最近、閉じましたね」
「あれ、コロナの影響か。来るとき前を通りましたけど、やってる様子がなくて」
「ほんとうのことはわからないけどね。いま、ここに住む外国人たちはいろいろ大変みたいよ。感染したのを隠して日本に来てるみたいなデマもネットで流れてるしね」
「ウイルスより先に差別がやってくるなんてシャレになりませんよね。そのうち、見分けをつけるためとかいって、ひとりずつ名前を聴くひとが出たりして」
 冗談じみたようにいって、店の時計をふと見ると、約束の時間になろうとしていた。急いでお勘定を済ませ、店を出た。
 待ち合わせの場所に着くと、まだ来ていないようだったので、しばらく待った。
「おひさしぶりです」
 背後から声がした。振り返ると、約束していた彼だった。
「団地の店にします? それとも外の店にします?」
 少し悩み、「外の店で」と答えた。
 向かう途中、世間話のつもりで、「最近はお忙しいんですか?」と尋ねた。
「仕事は相変わらずなんですが、実はいま芝園が大変で。中国人がたくさん住んでるから、発症者がいるんじゃないかみたいなデマが流れてるんですよね」
 気づいたら店の前にいた。 ビールと名物の羊の串焼きを頼み、2時間ぐらい喋ったが、デマの話がなかなか頭から消えなかった。


“大丈夫?”

 新着メッセージを知らせる振動が枕元からかすかに聞こえる。ベッドから起きあがろうとするが、身体が動かない。芝園の中国料理屋で飲んで以来、パートナーが心配するほどの飲み会つづきだったが、記憶を失うまでになったのはいつぶりだろうと、天井を見ながら考えていた。寝そべったまま、スマホを手で探った。ぼーっとした頭のまま、パートナーに返事して、Twitterを開いた。

“酔っぱらうと変なことつぶやくから、気をつけてね”

 以前、彼女から注意されたのを思い出したのだ。自分のツイートを確認したが、なにもつぶやいていなかった。
 安心したとき、「さいたま市が埼玉朝鮮幼稚園にマスクを配布せず」と書かれたツイートが目に入った。二日酔いで寝ぼけてるのだろうと思った。画面左端の時刻を見るとまだ朝早い。もう1度、目をつぶった。

 さっきまで寝ていたはずなのに、菓子折りの入った紙袋を持って、パートナーと一緒にマンションかアパートの玄関前にいる。いったいなんでこんなところにと不思議に思っていると、「家に来るの、はじめてだね」と彼女が言って玄関を開けた。ドキドキしながら入ると、リビングには彼女のご両親がいた。
「はじめまして。お付き合いさせていただいている金村と申します」
 菓子折りを渡したが、彼らは無反応だった。
「娘から聞いてるけど、君、日本のひとじゃないんだって?」
 父親の切り出す話題に驚いた。
「はい。在日なんですが、いまは帰化してて…」
「そうなのね。まぁ、わたしはいいんだけど、心配なのよ。韓国って、反日って聞くし。それに名字も分かる名字じゃない?」
 母親が心配そうに言った。
「そんなこと、彼の前で言わないでよ」
 彼女は泣きだしてしまった。ただただ、うろたえているとスマホが鳴った。こんなときに限って、いったいだれだよ。

 目を開いて、起きあがる。
 ジーパンとオックスフォードシャツが脱いだままに床にころがっているのを見て、自分の部屋だと気づいた。

「夢だったんだ。よかった」
 安堵が思わず、こぼれる。
 変なツイートを見たあと二度寝する夢のなかで、さらに修羅場の夢を見るとか、いったいなんだろう。
 枕元のスマホを手に取った。画面には、埼玉朝鮮幼稚園にマスクが配布されなかったというツイートが映っていた。
「あれだけは夢じゃなかったのか…」
 ひとりごとが部屋に響いた。
 階下のリビングに降りる。だれもいないのにテレビがついていた。机の上にあったリモコンを手にした瞬間、記者会見で語る安倍首相の映像が映った。
「国民が一丸となって…」
 国民と見なされない人間はどうなるんだろう。思いながら、テレビを消した。

 小さいころからテレビで観ていた有名人が新型コロナで亡くなったニュースを知ったのは3月下旬だった。それから2,3日して、週5だった勤務が週2になると上司からメールが来た。SNSには、緊急事態宣言や休業補償を求める書き込みが増え、政府の遅い対応にいら立つ雰囲気が漂っていた。

 宣言が出されたのは4月になってからだった。
「先ほど諮問委員会のご賛同も得ましたので、特別措置法第32条に基づき、緊急事態宣言を発出することといたします」
 家族全員が揃った夕飯どき、首相が話す模様がテレビに映し出された。
「別に休むのは構いやしねぇけど、補償はどうなるんだよ」
「このひと、なにもいわないつもりかな」
 仕事が休みになった父と妹が話している。
「補償とかいったいなにになるんだろう。お肉券とか絶対いやだよ」
 母は不安そうだった。
「というか、援助されるにしても、国籍持ってるひとたちだけなのかね」
 韓国籍の親戚たちを思い出しながら言った。
「さあ、わからない。この国は昔から、外国人なんてどうでもいいと思ってるからな。まあ俺たち在日なんてのは、最初から国なんて信じてねぇから」
「そうそう。こういうとき、在日(わたしたち)って強いのよ。まあ、わたしはフランス人で、お父さんはイタリア人だからよく知らないけど」
 父と母の会話に、この国のハードルの高さを感じながら生きてきた彼らの感情があふれ出ていると思った。
 スマホが鳴った。
「なに? 彼女から?」
 妹がにやけながらいう。
「うっせぇーな。いいじゃねぇか別に」
「彼女からなんだ」
 はやし立てる妹をよそに、確認した。

“今夜、お話したいな”

「ねーねー。なんてあったの?」
「そんなもん、お前にいうか」
 しつこさのあまり、思わず口を尖らせた。
「あんた、いくつになるんだっけ?」
 母が突然、割りこんできた。
「28だけど」
「そうか。そんな年になったんだね。ほんとうによかった。相手は日本人だっけ?」
「うん。そうだけど」
「そんな身分の高いひととお付き合いしてるなんて…あたしなんか、済州島のひとよ」
「いいじゃねぇか。うちは王族の子孫だぞ」
 酔った母の軽口に父が冗談めかしながらツッコむ。
「そんなの嘘に決まってるじゃない。わたしたちはド田舎に住んでた、身分の低い百姓の子孫よ。ところで名前はどうすんの?」
「気が早すぎない?」
 母の気の早さにすこしうんざりした。
「当たり前じゃない。こっちは早く長男の子どもの顔を見たいんだから」
「まだ、彼女には話してないよ」
「早めのほうがいいよ。婿養子に行って名前変えるの大変なんだから。在日ってわかるような名字のままじゃいろいろ面倒でしょ?」
「そうだよ。せっかく日本のひとと一緒になるなら、あっちの名前になったほうがいいって。わたし転職するとき、在日だっていわれないかとても不安だったんだから」
 妹もうなずいた。
「そうそう。いまの時代、ネトウヨのひとたちがたくさんいるし、こないだだって朝鮮幼稚園にマスク配らないとかあっただろ? 在日だってわかったら守られるものも守られない。名前だの、国籍だのにこだわるひとたちがいるけど、生きるためには捨てたってかまわないんだ」
 父はどこか寂しそうだった。

 夕食後、食器を洗い、2階の自室でパートナーに電話した。
「緊急事態宣言が出ちゃったから、しばらく会えないのかな」
「さぁ、これからどうなるんだろう」
 思わず、ため息が出た。
「そうそう。こないだ、わたしの家まで来てくれたじゃない? お父さんとお母さんの印象はとてもよかったみたい!」
 数日前、彼女の家に行った。夢の通りになってしまうんじゃないかと不安だったが、わたしが在日であることを受け容れてくれて、温かく迎えてもらった。
「よかった。宣言が解除されたら、うちにも来てもらわなきゃだね」
「詩恩のご両親はなにかいってた?」
「夕飯のとき話したけど、歓迎してくれると思うよ」
「よかった!」
 嬉しそうな彼女に、あの話を切り出した。
「あのさ…」
「どうしたの?」
「別にどうってわけじゃないんだけど、もし、結婚ってなったら、そっちに婿養子もいいかなぁなんて思ったんだよね」
「もう結婚の話? 気が早くない?」
 彼女は笑った。
「法律が変わったら別姓がいいけど、そうならないみたいだしね」
「うーん。別姓はちょっとなぁ。ほら、ペアリングみたいなもんじゃない? それに、わたしは金村になるつもりだったよ」
「ああ、そうなんだ」
 はじめて聴いて、少し驚いた。
「でもさ、転職のとき大丈夫かな。詩恩がハローワークで嫌なことされたの知ってるから」
 なんて言っていいのかわからなかった。あれから答えを出せないまま、宣言の終わりを待っている。

(かねむら しおん)1991年生まれの日本籍の在日コリアン3世。大学卒業後、都内の企業に勤めながらブログ「私のエッジから観ている風景」を開設。2017年に著書として『私のエッジから観ている風景――日本籍で、在日コリアンで』(ぶなのもり)を出版。現在はフリーランスのライターとして活動する。


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