気づかずにいられるあなたの「特権」〜『差別はたいてい悪意がない人がする』によせて(伊是名夏子)
伊是名夏子(いぜな・なつこ)コラムニスト、車いすユーザー。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
生きていくだけ、息をするだけで社会運動になる。差別に直面することが多い障害者の生活は、うまくいかないことが当たり前。そのひとつひとつを「差別」だと叫び、戦い続けることはできない。だって生きていくためには、平均の人よりも時間をかけ、まわりの助けも借りて、ご飯を食べ、トイレに行き、掃除をし、電車に乗り、買い物に行き、お風呂にも入らないといけないのだから。
でも、声を上げないと差別は改善されず、その差別は残ったまま。声を上げても大変だし、上げなくてもつらい。
骨の折れやすい障害があり、身長100cm、電動車いすで生活する私が、2021年4月、子どもとヘルパーと友だちで電車で旅行をしたときのこと。目的地の駅が階段しかない無人駅だったため、乗車駅で「ご案内できません」と乗車を拒否された。1時間かけて交渉したが、「できない」の一点張りで、仕方がないので不安を抱えながらもエレベーターがある途中駅に向かった。到着すると駅員が4人待っており、「今日は特別に案内します」と言う。そして、タクシーに乗るか、目的地の駅で車いすを持ち上げるか、と提案された。私は対応の急変に驚きつつも、階段を持ち上げてもらうことした。
結果的には乗車できたが、1時間も交渉した上、強行突破で乗車したことをうけての対応だったこと、そして「今回だけ特別」という言葉に疑問を感じた私は、この状況を伝えるためにSNSで発信した。すると大炎上にあった。
「駅員がかわいそう」「わがまま」「事前連絡をするべき」「上級弱者」「狙ってやったに違いない」と書かれ、私を悪人に仕立てる印象操作がされ、過去の写真やデマが拡散された。それは5カ月以上たった今も続いている。著名人や専門家の中にも「配慮を受けたいなら、言い方ややり方を考えるべきだ」とトーンポリシングをする人がいた。
差別はなぜ起き、なぜなくならないのだろう。誹謗中傷に苦しみながら、私はこの『差別はたいてい悪意がない人がする』を読み進めた。
障害のない人たちは、自分のために便利につくられた世界で、自分の特権に気づかずに過ごしている。障害があってもなくても、人には誰でも大変なことがあるし、人はみな平等だと信じるからこそ、同じルールが適用されるべきだと考えている。自分が毎日困ることなく過ごせているのは、自分がよくやっているからだと信じ、構造の中の差別には気づかず、できない人には自己責任を押し付ける。「社会をよくするため」の正義感から平等を求め、批判という名の誹謗中傷をする。それは「偏った正義」だと著者のキム・ジへ氏は書く。私が言語化できなかった苦しみは、まさしく「偏った正義」を正す難しさである。著者の考えにうなずきながら、本を読み進めた。
いつでもすぐに目の前に止まった電車に乗れること、
階段しかないレストランに入れること、
喫茶店でセルフコーナーの台にある砂糖を手にとって紅茶に入れられること、
特売商品が所狭しと並ぶ通路の狭いスーパーで買い物できること、
銀行でATMが利用できること、
最寄りの小学校に何の交渉もせずに通えること……
すべてが歩ける人の特権ともいえる。
車いすの私にはそれが選べない。選択肢が少ない中で我慢を重ね、工夫をし、時間をかけて電車に乗り、買い物に行き、遠い特別支援学校に通わざるを得ない。「選択肢がほしい」と声を上げると「資源は限られているんだ、使える場所があるだけいいじゃないか」「急ぐ必要はないよ、ゆっくりでも大丈夫」「歩ける人だって我慢をたくさんしているのだから、もっと求めるのはわがままだよ」と言われる。
自分の特権には気づかず、マイノリティに権利を与えることはマジョリティが「逆差別」を受けることだと思い込む。あらゆる理由で「異なるものに権利がないのは仕方がない」と言われる、この苦しみ。マイナスの状態をゼロにしたいだけで、プラスは求めていないのに。多数派の人々が抱く「偏った正義感」を変えていくのは本当に難しい。
差別は日常的にある。いい人でも悪い人でも差別をしてしまう。障害のある私も、特権を持っている面があり、差別に加担している場合があることを心にとめたい。そして、差別を禁止する法律こそが必要だ。
私は「差別があるのは仕方ない」と諦めるのをやめたい。差別の根底になる無知と恐怖心に向き合い、まだ見たことのない、本当の公正の社会をめざしたい。