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女/性 なぎさ「彼女の膜」(後編)
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彼は持ち家で部屋も余っているとのことで、彼女は彼の家に引っ越した。少しして猫を飼うようになって、2人と1匹暮らし。彼の実家も近く、彼の母親とも上手くやっている。もしもシングルマザーとして子供を産み育てたら、この彼の家を出て自力で生活しなければならない。猫を飼いたかったのは彼女で、もしもの時は彼女が引き取ることになっている。だから、猫も連れていく。世の中にはたくさんのシングルマザーがいて、みんな頑張っていて、だから自分もやれないわけじゃない、分かってる、でも怖い。その彼女の素直な気持ちは、同じような状況に置かれた女性たちの気持ちそのものだった。踏み出してしまえば案外どうにかなるのかもしれない、でも、怖いのだ。そもそも子供を産むのだって、育てるのだって、怖い。夫がいようが家族の支えがあろうが、自分が母親になるなんてイメージなんて持てないし、ちゃんとできるか不安で仕方がない。別にちゃんとなんてしなくていいんだけど、そんな風に考えてしまう。
きっと彼女は彼に裏切られたような気持ちで、深く傷ついたと思う。そんな時に一人で子育てする決心なんて出来なくて当然だ。それなのに彼女は「私も自分だけで育てる自信もないから、仕方ないんです」なんて言う。
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5日間入院して家に帰った時、待っていた彼は身構えている雰囲気だったそうだ。彼女から中期中絶という辛い体験のことを聞かされるとか、泣きながらひどく責められるとか、そういうことになると思っている顔をしていた。でも、彼女は何も言わなかった。猫は元気だった?あのゲームはクリアした?そうやって日常会話のみをして ”いつも” 通りの自分を作った。
病院は運良くいいところが見つかり、産休が取れることを教えてくれて2ヶ月間仕事を休むことが出来た。中絶手術は悲惨だ。器具を子宮口に挿入し無理やり子宮口を開くのに2日かかった。3日目にやっと赤ちゃんが通れるほどの大きさに子宮口が開いたけれど、通常の出産のように力んで産むことは難しい。本当はまだ産まれてくるタイミングではないからかもしれない。
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結局、先生に掻き出されるように彼女は赤ちゃんを分娩した。4日目は痛みに耐えた身体を病院のベッドで休ませ、退院可能かの検査をする。子宮口に器具を挿入するのも、子宮口が開いていくのも痛みがあり、かなりの苦痛だ。掻き出すのだって子宮内に傷がつくこともあるだろう。彼女の身体は入院初日から出血と発熱が続いていた。退院後、まだ出血がある身体では日常生活は難しく、この休みがありがたかったようだ。
中絶中期の赤ちゃんは火葬しなければならない。あまりに小さな身体の骨はどのくらい残るのだろうか。彼女は小さな骨壷を彼と住む家に持って帰った。手元供養というものらしく、自分が死んだ時に一緒に埋葬する人もいると聞いて、彼女や女性たちの母としての心の痛みが伝わってくるようだった。
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お骨を持って帰ってきたと彼に伝えると、彼の口から「"俺は関与しない”って言ったじゃないか」と、とんでもない言葉が飛び出した。彼女はそんなことは言われていないと冷静に返事をした。実際、LINEのやり取りにもそんな言葉はなく、想像していなかった出来事に彼の鋭利な本心が飛び出してしまったようだ。「そもそもあなたの子だから関与してますけど?」と私はイライラが飛び出してしまった。よく彼女は冷静に ”いつも” の自分を保っていたなと、彼女の内面を抑える膜の強さに驚く。
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「彼を許せるの?」やはり私は聞いてしまう。
彼女の話はほとんどが彼のことで、自分の話は添え物のようにしか出てこない。もしかしたら内面を抑えることは彼女にとってストレスではないのかもしれないけれど、人生の中の大きな出来事だもの、感情を抑えてばかりじゃキツくない?それに ”関与しない” だなんて言葉に傷つかないわけがない。
さずがに‥と本心が漏れ「中絶後、彼にも痛みを味わって欲しいと思ってしまった」と彼女は言った。彼の体にはタトゥーがあって、なんと前妻の名前が彫られている。もちろん消してほしいと思ったけれど、消すにはレーザーで皮膚を焼くしか方法がない。火傷と同じようなものだからかなり痛いだろう。彼にそんな思いをしてくれとは可哀想で言えずに我慢していたけれど「あなたも消して痛みを知ったら?」と言いたくなったそうだ。
彼の体に刻まれている名前の女性は彼の子供を産んでいる。それを見るのは今の彼女にはひどくしんどいはずだ。彼女がそう言いたくなるのも当然だと思う。
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私はずっと、彼女から静かな怒りを感じていた。
彼女の内面を表に出すことを抑える膜は、彼女を守る役割でもある。その膜の奥底には怒りが確かにある。
彼女は赤ちゃんに名前をつけて、赤ちゃんのエコー写真のアルバムを作り、可愛く装飾をして飾っている。小さな骨壷を可愛くアレンジして布団のそばに置き、灰になった2人の赤ちゃんと毎日一緒に寝ている。それはもちろん、彼の視界にも入る。そうやって彼女が失ったものと向き合っている姿は彼にどう映るのだろう。自分のせいではない、自分は関与しないと言い続けるのだろうか。
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二人の間にこんなにも大きな出来事が起きたのに、彼女の彼への態度は ”いつも” 通りのまま。
”いつも” 通り。
これが彼女の静かな復讐なのだと、私は感じる。
女/性 なぎさ
写真・文 SAKI OTSUKA
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