【侍タイムスリッパー感想】熱い気持ちは響き合う【#汁なし大盛り担々麺1杯目】
私はクリエイティブ職に就いている下っ端会社員だ。ある日、自分の業務として課せられた「目玉となるようなアイディア」がなかなか降りてこず悩んでいた。もちろん、どのような面白さなのか、どういう傾向なのかの具体的な方針は伝えられていない。霧の中から出口を探せ、といわれるような途方もなさに、私は若干苛立ちと焦りを感じていた。弛んだ糸が、きりきりと張り詰めていくように、日に日に枯れていく心の余裕。
何か刺激になるような映像作品はないだろうか、と悩んでいたところに、「侍タイムスリッパーがおもしろい」というネタバレなしの口コミを見かけた。それならば見てみるか、と軽い気持ちで、劇場の場所だけ調べて予約をし、公式サイトやあらすじさえも読まずに、翌日(ド平日である)の午前中に見に行った。もちろん遅刻連絡は前もってしているし、予約完了した時点で「翌日私用のため遅れます」と同僚に伝えているものの、常識的に考えれば社会人にあるまじき行為である。授業を抜け出して遊びに出たことがない、何の面白みもない普通の子供だった私が、嫌悪していたはずのズルい人間になってしまったことに時の流れを感じた。
前書きが長くなってしまったが、そのような経緯で侍タイムスリッパーを見た感想をしたためる。どんな映画なのか、どんな評価を得ていたのかさえ知らないで見たので、自分のこれまで生きてきた中で得たものと比べ合わせながら感じたままを書こうと思う。
※感情があふれまくり、かつ独自解釈のもと記載しているので、その点だけご了承ください。もちろんネタバレを含みます。
『日ノ本は豊かな国になったのですね』のあたたかさ
近くの席のマダムがくすくす笑っていた中で、私はボロボロ涙を流した。コメディ映画だろうと思ってハンカチをカバンから出していなかったのが不覚であった。白むすびを美味しそうに頬張るシーンでも涙腺が緩んでいたが、この『誰でも買える、近所に売っていたショートケーキ』を一口食べ、感涙する姿に胸を打たれ見事涙腺が決壊してしまったのだった。
歴史考証専門家でもない私だが、学校教育のおかげで、「砂糖というものは高価なもので、明治時代になってから一般市民にも使われるようになっていった」という薄ぼんやりした記憶があった。高坂殿は、明治維新前から苗字があるのと、会津藩の家中と名乗られていたので、中級武家の出なのだろう。中級武家といってもピンキリだとは思うが、高坂殿の「さぞかし高価な菓子」という発言からも、砂糖を使った菓子(異国の甘味)は当時なかなかの値段で取引されていた、希少性の高いものであろうことが察せられる。
高級肉のステーキや、コンビニ等で手に入る和菓子だったら成り立たない、個人的に美しいシーンだと思った。ただコメディにするならば、大きなステーキを食卓にのせて美味しさに感激する高坂殿を映せばいいし、和菓子も誰でも買えるし職人が作ったわけではないものを食べて日本の変わりようを伝えさせてもよかったはずだ。江戸時代にもあったであろう「かすてら」を出して、変わらないものもあったのだと安心するシーンにしてもいい。でも、そうじゃない。「江戸時代にはなかったもの」「江戸時代では高価とされていた異国のもの(甘味)」「現代の食の豊かさ」。高級ではない、誰でも気軽に買えて食べることのできる、おいしいおやつ。
江戸の時代を生きていた高坂殿であれば、もしかしたら食べるものが少なく我慢しなければならないこともあっただろう。それが、飢えに苦しむこともなくなった未来(現代)に、喜びの涙を流すのも無理はない。未来(現代)に生きる和尚夫婦は当たり前のものとして享受しているので、高坂殿の大げさなほど喜んでいる姿が滑稽に見えるのが、立場の違いによるとらえ方に差が出ていてとても面白い。
※劇中の時代がペリー来航、開国140年?とあるのでおそらく平成の時代で、和尚夫婦は戦争経験がありそうだし、高坂殿の感動する気持ちに寄り添えそうな気もしたが、ここでしんみりさせると湿っぽくなりすぎ時代劇の流れの温度と差が開いてしまうのでいい塩梅だと思った。
『日ノ本は豊かな国になったのですね』の一言だけでも、冒頭の鋭い眼光で鬼気迫る表情からは想像のつかない、高坂殿の人としての柔らかさ、やさしさ、あたたかな人柄が滲みでる、とても好きな1シーンであった。
閑話休題:高坂殿マジで愛おしすぎる問題
お気づきかもしれないが、私は「守るべきものを失い、どうしようもなくなり絶望した」が、「今の状況を甘んじて受け入れ生きていこうとする」、高坂新左衛門という男がこの時点でとても好きになっていた。
私が高坂殿だったらどうしていただろう。自分が守りたかった幕府が滅び、幸せそうに暮らしている人をみたら……。自分は間違っていたのだろうか、自分の守りたかったものの意味はなんだったのだろうかと苦しみ早々に退場していたはずだ。
これもすべて、高坂殿だからこそ成しえたことだろう。幼少から叩き込まれたであろうご両親の教えのおかげか、自分の行いで相手が怒っているならば自分に非があるのだろうと謝れる素直さ。与えられた仕事を全うしようとする真面目さ。時に、「優子殿に言われて仕方なく」といったような、照れを隠すときのお茶目さ。キャラクター造形として完璧なだけでなく、それを自然と演じられる山口馬木也さんの演技力の賜物だろう。
すべてがかみ合っている。コメディの間も、表情ひとつすらも役ではなく人間の営みの中でのワンシーンのようで、演技臭さ、しらじらしさがなく本当によかった。剣心会に入りたいと優子殿にお願いするシーンの「救われたような気がしたのです」も本当に、江戸の時代を生きて、当時の暮らしぶりを見たことがあるからこその侍、としての空気感。高ぶる感情を抑えながら涙をにじませる瞳。高坂殿~~~!とおいおい泣く下っ端のような気持ちで見ていた。高坂殿の気持ちに寄り添いすぎて、だいたい高坂殿が泣いてるシーン泣いてた気がする。
高坂殿のキャラクターが、剣の腕に覚えがある武骨で高圧的な侍から丸くなる、というような描写ではなくて本当によかった。
実直な侍、愛おしすぎる。
価値観というものは知見によって変わるもの
私は愛国心のようなものは薄いと感じている。国が豊かになるためには、民が幸せになるためには自らの自己犠牲的な行為さえも惜しまない、歴史もので描かれる『高潔なサムライ像』と比べ、自分は国のために自らの命を捧げられないからである。時代が時代であれば私は非国民の部類だったろう。主君のために『私』を捨て、『公』のために働き生きるのは私には絶対無理だ……と思っていたのだが、会社という括りで考えてみたが、やはり「いい作品をつくろう」という大きな目標に対して自分も力を出し切り頑張るぞ!と思っているので若干そのきらいはあるかもしれない。
山形彦九郎は若かった。若かったゆえに、現代の価値観の吸収がしやすく、
当時自分が生きた時代の価値観とのギャップに苦しんだのだろう。江戸末期は激動の、大きな時代の転換期だった。斬らねば斬られる状況下で、それが当たり前の時世だったのだ。そして、明治から大正、昭和と大規模な争いの歴史を経て、平成の日本は目立った大きな争いはなくなった。山形がもし戦争の時代にとばされていたら、価値観のギャップに苦しむことはなかっただろう。斬り捨てた者への罪悪感に苦しむこともなかったはずだ。
ここのシーンは、もしかしたら戦争経験者の方には身につまされる思いもあるのかもしれない。壮絶な経験をし、心に傷を負っている方も多くいらっしゃるだろう。風見と同じように、夢に出てきては自身を責める方もいらっしゃるかもしれない。
それを、同じ時代を生きた高坂殿が「つまらん」と言い捨てる。「見損なった」と。そして、討幕派の”山形彦九郎”は、掲げた理想のために斬り捨てた命の責任を受け止めるべきだと。『その行動に責任を持たずして逃げることは侍の恥』ということなのだろう。
「刀あっての俺、と貴様は言うが、まことの侍ならば、己の罪悪感に苛まれ、逃げるように時代劇を捨てるべきではなかっただろう。逃げるな山形彦九郎!」という気持ちであったのだろう。かつて思想の違いで相対し、真面目で誠実な高坂殿だからこそ、風見はその言葉をしっかりと受け止めた。
ここのシーンの冨家ノリマサさんの演技も最高なんですよね。おそらく山形彦九郎として生きていた人生から離れ、20年は経っているはず。薄れかけ、遠のいていた侍としての記憶がどんどんよみがえってきて、目が覚め、覚悟を決めなくては、という表情に変わっていったのが本当に素晴らしかった。
閑話休題:"風見"の深みがアツい
冨家ノリマサさんの演技、本当に山形彦九郎という若き侍が、いろんな経験を経て現代に迎合し、丸みを帯びていった達観的な瞳をしていて素敵でした。高坂殿の年齢が30代だとして、おそらく風見は40前半?
俺のほうが年上になってしまった、という一言があるので、おそらくそうとは思うが……30年前の今、とあるから、多分とばされたときは10代後半か20代前半だったのではなかろうか。
そう考えると多感な時期に、そして自分の思い描いていた豊かな日ノ本に飛ばされ、戸惑いもあったろうけど喜びもあっただろうなとも感じる。
若い精悍な顔立ちの侍が、優しく穏やかな紳士になったという変化によって説明がされる(ただ単に俳優が違うんだからそうだろうというナンセンスな突っ込みはナシ)。これまで色々大変なことがあったであろうことは高坂殿も色々推察できるはずだが、それでもやはり仇敵に対して子供のような悪態をついてしまう。風見はそんな高坂殿を子供を見るような穏やかさと、子供のような心を秘めた瞳で見つめるのが印象的だった。同じ土俵に上がって言い合いをし、腹を割って話し合う。因縁深い相手は、つまり別の見方をすればかけがえのない繋がりを持つ唯一性の関係なのだ。
自分が望んでいたのはこのような時代ではない!と怒り散らかす侍だったら大変だったな。そういう意味でも、山形彦九郎も柔軟で、かつ誠実な侍だったのだろうと思う。
どうしようもないことへの無力感
おいたわしすぎた。素直で優しくて、とても魅力的な高坂殿であったからこそ、傷ついた姿が悲しかった。
自分が戦えてさえいたら、守れるものもあったかもしれない。苦しまずにすんだ民草もいたかもしれない。こんなむごたらしい仕打ちを受けなくて済んだかもしれないし、もしかしたら幕府も滅びていなかったかもしれない。
クソガキどもに蹴られた痛みなど皆の苦しみに比べたら何ともない、申し訳が立たない、どうして今自分は生きているのか?あのまま過ごしていたら、皆のために戦い死んでいたはずで、こんな平和な時代に、幸せを享受していいものだろうか?
歴史考証も研究を追っているわけではないので詳しくはないのですが、どうやら劇中の脚本で追加となった文章は会津藩側の記載の史料のようで、政府や第3者の史料との食い違いがあるそうです。まあ、訛りもそうですし、意図がうまく伝わらないのは現代もありますよね。仕事の指示とかの行き違いとか。クソがよ。
でも、このシーンでは「会津藩側からの史料」でなければならなかったと思います。それはたびたび劇中の武者小路が言っていた怨念、「訴えかけある感情」が強く出るから。仲間を失い、怒りと憎しみで公平性を書いたもの。だからこそ高坂殿に響いてしまった。その時代を生きてきた人間だから、残してきた同志、家族、皆の顔を思い浮かべてしまい、その者たちが苦しみ死んでいったのだと思うと……。
風見の罪悪感では、高坂殿が差し伸べることができた。互いを認め合い、侍としての誇りがあるからこそ激励の言葉をかけられた。だが、今回ばかりは風見もどうしようもできない。なぜならば戦争の勝者側の人間だから。
もちろん風見の親族や同志たちも、戦争の犠牲となり死んでしまったと思うのですが、高坂殿は幕府だけでなく、会津藩を守ることができなかった。
スポーツの勝ち負けであれば互いをたたえ合うことはできましょうが、戦争の勝ち負けでそんなことはできるはずもない。勝者が敗者にかける言葉など、哀れみ、蔑みに変換されて聞こえる。だから風見は痛いほど気持ちを理解できても、何も言えない。
真剣を使うことの提案のシーンで風見の涙につられてまた号泣した。
高坂殿の無念、苦しみ、怒り、やるせなさを理解する気持ち。
侍としての価値観を捨てきれなかった高坂殿は、かつて風見が苦しんでいった、死んでいったものの分まで背負う覚悟を、”現代に生きる人間”ではなく”江戸末期に生きた侍”のやり方で為そうとしたのだろう。
「俺は……面白いと思う」
この言葉と、このシーンを思い返すたびに涙が出てくる。
同じ時代を生きた者として、貫き通そうとする高坂殿への称賛と、仇敵であるがゆえに高坂殿へかける言葉がないことへの無念がこもった声色。
少し笑みを含んだ表情は、おそらく高坂殿が”侍として死にたがっている”ことに対しての、自分の見込んだ"侍"であることへの喜びが含まれているのではと思った。高坂殿も、"山形彦九郎"ならば理解してくれると思っていたからこそなのかもしれない。
仕合で頼む、のシーンも本当によかった。そして為すべきことを為せ、のところも。というか後半の剣戟シーン全部いいです。いい。息をのみ、どちらがどう出るか、命の取り合い感。よすぎた。語彙がなくなるほどメッチャいい。そして、最後の決断。どうしようもないことを、どうしようもないとして飲み込む強さ。今を生きていこうとしていく、第二の人生としての歩み。
あー、もう駄目だ。涙がとまらん。情けなくなんてないよ、高坂殿。
閑話休題:最後の武士
感情がぐちゃぐちゃになっていて記憶が昏倒しているような気もするが、
「最後の武士」劇中のセリフが冒頭のセリフのオマージュになってて鳥肌たった。
「どこのご家中かな?」、元々は山形彦九郎がかけた言葉ではなかったか?
それを高坂殿が演じる幕府側のセリフになっている。怖すぎる。
ラストも幕府側である高坂殿の勝利となっていて「成仏せよ」。
あああ……こ、こわい。反転だ。もしかしたらあの時雷が落ちていなかったら高坂殿は死んでいたのかもしれない。
私も最初の話を思い起こすようテキストを書いたことがあったのが、受け取る側ってこういう気持ちなのだな……となった。もっとも自分のは、こういうこともあったね、というほっこり系ではあるのだが、こう、ifの世界線を見せられたような、高坂殿死亡ルートを見せられた気持ち。やすりで心臓を撫でられたような気分だった。
終わりに
終わった後、化粧の崩れた顔で電車に乗り、会社へ向かう途中、映画のレビューサイトを見た。おおむね好意的なものも多く、ほぼ同意であった。
ただ、中には映画知識が深かったり、映像演出面で造詣が深いような方のものもお見受けした。映画を作ったことがない身としては「そういう手法もあるのか」「そういう風なやり方もあるのか」とは思うのだが、そもそもこの侍タイムスリッパーって自主映画ではなかったか?
かなりの大金が動く映画との差はスケジュールの確保と人的余裕なのではないかと詳しくないが勝手にそう思っている。すべてのクリエイティブなものにあてはまるが、時間をかければかけるほどいい作品ができるに決まっている。しかしその分、費用も掛かる。人件費、維持費。すべては金だ。金がなければプロジェクトは動かない。監督が身を削ったという話を知り、制作時はどんなストレス下で、どんなに大変だったろうかと考えてしまう。
忘れがちな人もいるが、映画は「人」の協力で作られていく。ただカメラを回せばとれるもんではない。数々の打ち合わせ、道具、試行錯誤、場所、タイミングを決めて撮影し、その映像に合わせて音をつくり、調整をかけたりと手間がかかる。AIの進化で補うこともできるものもあるかもしれないが、基本的には人によって映画は生まれる。
人は、頑張れる時もあれば、頑張れないときもある。心がささくれだつときもあれば、穏やかなときもある。いつも同じ調子ではいられないし、逆にキープできる人はとてつもなくすごい人だと思う。
時代考証など、深く考えたら「これってどういうこと?」と気になってしまう人がいるのも仕方ない。1つのことを考えると気になって気になって仕方ないのは、真っ白な壁に黒いしみが1か所だけあってそこばかり見てしまうのと同じ原理だろう。人によっては模様として受け入れるひともいれば、汚れとして許せず気になってしまう人もいる。
そういうことなのだ。
おもしろかったけど、あそこが気になっていやだった。よりも、気になるところはあったけど、おもしろかった!のほうがいい。
私は前者は「面白い作品であることは認めつつも、自分の好みではない」というマイナスな意味合いだと思っている。後者は「作品として粗はあるが、とても満足いく作品だった」とその作品への愛を感じる。
見てみるか、という軽い気持ちで見た侍タイムスリッパー。
私はこの素敵な映画が生まれたこと、そして素晴らしい俳優さん方の演技、協力された制作スタッフの方々、そしてパブリッシングの方々に感謝の気持ちであふれている。
私も、熱い気持ちを込めた作品を作り、受け取り手の皆さまが喜ぶような、
そんな素敵なものを生み出せるように頑張りたい。
余談
ちなみにパンフレットが出るという情報を得たので、仕事終わりに川崎チネチッタのレイトショーを予約し、パンフレットをむき身(袋もらうのを忘れた)で買って帰った。2回目の鑑賞である。
まだパンフレットの中身は読んでいないのだが、これからじっくり、
監督や俳優さん方の、侍タイムスリッパーという映画に対しての思いを垣間見ようと思う。
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