名言がとまらないお正月
お正月は、その年の目標を立てる特別な期間だ。いつもより心が意識高くあるせいだろうか、自然と名言が飛び出してしまうように思う。
何気ない会話の中で、とにかく、名言が出る。
泉のごとく、わく。
みなさん、チャンスです。
お正月は、名言黄金週間だ。どんどん名言を残していこう。
名言 「パッションで判断せよ」
休みに入り、次男(5歳)が「朝ごはんを作りたい!」と騒いだ。
あら、いいじゃない。どんどんお願いします。
簡単な作業を考えていると、俺も私もと、気づけば3人の子どもたちに囲まれていた。
おにぎりにしようと思っていたが、メニューをピザトーストに変更する。ピザトーストは、具材のパーツがたくさんあるので、それぞれに仕事をふりやすいし、ソースを塗ったりトッピングしたりと、お手伝いとしてのハードルも低いのだ。
さっそく、次男がピーマンを切る。
「これ洗う? 洗わない?」
「たてに切る? 横?」
いちいち正解を確認される。慣れていないので仕方ない。次男の手元に注意を払いながら「洗ってね」「どっちでも大丈夫だよ」と答える。
横では長男がウインナーを切っている。
「どのぐらいの厚さ?」
「(切り口は)まる?長いまる?」
長男もそんな感じか。もっとお手伝いさせないとな……そう思いながらも「たっぷり乗せられるように薄めがいいな」「どっちでも大丈夫だよ」と答える。
末っ子はケチャップを爪に塗ってうっとりしているので、放っておく。
子どもたちがピザトーストを担当している間、私はスープを作った。
ふるさと納税でゲットした肉厚で大きな淡路玉ねぎの皮をペリリとむき、にんじん、大根をダイスカットする。
ピザトーストには、少しコクのあるスープの方が合うだろうけれど、引き算するのが我が家流。昆布出汁にたっぷりの野菜を加え、塩をして、ストウブ鍋でじっくりコトコトすれば、強い味の間にほっとひと息つけるスープになる。滋養深く、野菜の透き通った味がするスープは、いつだって食卓の味方だ。
ここにどっさりキャベツを刻んで入れたいところだけれど、高いので量を少し控えて……とやっている間にも、常時子どもたちから細かく量や切り方、乗せ方などを確認される。
君たちピザトースト食べたことあるだろうよ。いちいち、確認せんでよろしい。食べやすけりゃあ、なんでもいいのだ。
そう伝えたくて口を開いたら、出た。
「パッションで判断しな!」
え……? 名言やん。
そう、判断軸はパッションよ。
正解は常に、自分の中にあるのだ。
続けて「もっとも優先すべきは、食べやすさ。テクニックはそのあとの話」とか、「君たちの中にある優しさを、食べる人と目の前の食材にぶち込みなさい、それが料理だから」とか、スルスル出てくる。
もう、止まらない。
言うこと言うこと、全部名言。
自分で言いながら、今まで料理し続けてきた全私が、感動の涙を流した。私、そんなふうに思いながら、料理してたんだなぁ。
一人胸を熱くする一方で、子どもたちは「へーい」と適当に返事をしたり、「ピーマンが太い」と不機嫌になったりしている。
そこは、「か……かあちゃん!(涙)」「料理って、そうだったんだ……!」とかじゃないんかい。
まったく、名言センサーが低い子どもたちである。
厚切りピーマンと不揃いウインナーのピザトーストは、みんなで大変おいしくいただきました。
名言 「嫌いじゃないものは、貴重」
ドライブをした。
特に旅行の計画をしない年末年始だったので、歩く活火山のような子どもたちが思う存分噴火できるよう、公園だの遊び場だのに足を運ぶ日々を過ごしている。
大型の、家族でお気に入りの国立公園まで、片道40分。車での移動中は、子どもたちが好きな曲をかけるのが定番だ。Apple Musicで選んだ曲を、Bluetoothで車内中に響き渡らせ、ライブハウスのごとく大盛り上がりする。
今回でいうと、モアナ2、プリキュア、キャッチティニピン、ドラえもんの九九の歌などがエンドレスリピートされていた。モアナ2では、1とは違って高速ラップのような歌詞が多いんだけど、子どもたちは完璧に覚えている。すごい。車で使えるカラオケマイク、欲しいなぁ。
公園は、気持ちよかった。
空がどこまでも澄んでいて暖かく、本当にいい正月である。ドッカンドッカン、それぞれ好きなように噴火して、大満足だった。
復路のミッションは、2歳の末っ子を寝かせること。子が寝たら、帰りにスーパーに寄れるからだ。
待ってる間、夫は末っ子と一緒に昼寝ができるし、私はゆっくり買い物ができる。5人全員で買い物するのと、そこそこ分別のつく兄たちと3人でするのとでは、起動力に雲泥の差があるのだ。ここはなんとしても、末っ子を寝かせたい。
末っ子が寝たら、お兄ちゃんたちだけの秘密のお菓子が出てくる(こともある)ので、協力してくれれば兄たちにもメリットがある。
子どもたちに一任しているBGMの主導権をいただき、ゆったりした曲を探す。チルな雰囲気ならなんでもいいので、それっぽいプレイリストから適当に選んだ。
「これ、前もかけてたね。好きなの?」
長男に問われてはじめて、過去にもかけたことのあるプレイリストだったと気づく。子どもの記憶力って、ほんとすごい。
「いや、別に好きってわけじゃないよ」
「そうなの? じゃぁ、なんでかけてるの?」
……なんでだろう。
私にはあまり、好きな曲がない。特定の歌手やバンドのファンというわけでもないし、気分に応じたプレイリストも持っていない。もちろん、いくつか定番はあるけれど、疲れているときのBGMに求めるのは、好みとは別で、うるさくなく、必要以上に自分に入ってこないような、ニュートラルでい続けられる音楽だ。
可もなく、不可もなく。
そういう音楽って、結構貴重かもしれない。
「大人になるとね、嫌いじゃない音楽が重宝するのよ」
出た。
唇から自然とこぼれ落ちる名言。
あぁ、自分の才能が恐ろしい……。
この名言は、大人にしかわからない感覚かもしれないなぁ。夫は、どうだろうか。
基本的には、私の発言に対して無関心に徹する夫だけれど、同じような年月を生きてきた彼なら、多少響くところがあるのではないか。特に夫は、仕事とうっすーーいタオル以外にこだわりをまったく持たず、音楽に関しては私と似たような感覚であるはずだ。
運転席をチラと覗き見る。
微動だにしない夫。
……夫、いいの?
横で今、嫁がすんごい名言出しましたけども。
彼は私のポテンシャルに気づかないまま、一生を終えるつもりなのだろうか。まぁ、いい。ある意味これが夫の私のニュートラルである。
そういえば、過去にも似たようなことがあった。
正月に限らず、人生にはときどき、個人的な名言黄金週間が発生するようだ。
「各々が己のアイスと向き合いなさい」も、思わずハッとする名言じゃなかろうか。「各々」と「己」の韻を踏んだ感じも悪くない。己のアイスと向き合わざるものは、甘露を失す。溶けたアイスほど悲しいものはない。
今まで、家族にスルーされ、どれだけの名言たちが失意のうちに消えていっただろう。そっと、心の中で手をあわせる。
……待って。
「己のアイスと向き合わざるものは、甘露を失す」——これも良くない?
過去の名言を越える現象もまた、正月効果なのだろうか。残りわずかの黄金週間も、大量発生が予想される名言たちとともに、粛々と過ごしたい。