#5 掃除後のジレンマ
最近トイレ掃除をさぼっていた。
手を抜いていた期間の蓄積を、最小限の労力で一発逆転したい。
Amazonに泣きついたところ、「ブルーレット さぼったリング 大盛り泡」を薦められた。
商品名が清々しいほどにストレートである。しかも「大盛り泡」ときたもんだ。よくわかんないけど「アンタになら……!」と娘を嫁に出せそうな安心感がある。 3箱セット¥1,101(税込)を秒でポチった。
「さぼったリングができるまでトイレ掃除をさぼるなんて……」と憤慨される方がいるかもしれない。ごもっともすぎて耳が痛い。
我が家の掃除加減は、なんていうかまぁ、全体的に、そこそこだ。そこそこに日々をやり過ごし、定期的に入るやる気スイッチで日頃のちりあくたを一網打尽にする。これで人生、いい塩梅に過ごしてきた。
その塩梅が、風邪やら肺炎やらで狂った生活リズムとともに、少し崩れてしまったのだ。不本意な結果である。
自慢じゃないが、こう見えて(?)トイレ掃除に関しては輝かしい過去があるのでぜひ聞いてほしい。
かつて飲食の仕事をしていた頃の話だ。勤めていた店はトイレ掃除至上主義だった。正確には、トイレに限らず「できることを最大限に」という気持ちが仕事の隅々までに及んでいて、トイレもその対象のひとつだったのだ。
毎日あちこち徹底的に磨き上げ、鏡に飛んだ一滴の水さえ許さない。常にお客様に快適に過ごしていただくため、営業中に誰かが使用するたび、スタッフがくノ一のごとくシュババババっと現れ、原状回復。また音もなくそっとトイレを後にし、仕事に戻る。
使用直後にスタッフに掃除されることを気にする方もいるので、誰にも見られず瞬時に任務を完了させなければならない。働いていたものは皆等しく、能力者だった。
掃除ウブだった私も、日々の鍛錬で着実に力をつけていった。バッキバキに仕上がった私のトイレ掃除筋は、ご婦人が見たら鼻血を出し「抱いてぇ!」と失神するほどに美しく、そして官能的に成長したのである。
客単価が数万円のレストランだろうが、ハイブランドがひしめく百貨店だろうが、チラッとTシャツの裾をまくり上げるだけでどのトイレも腰がくだけ、私の前にひれ伏したのだった。
……まぁ、そんな自慢も、もはや昔の話である。鍛え上げた美ボディも、元はといえば、たるんたるんの、ゆるゆる。加えて、プライベートの私はぐうたらなのだ。
仕事とプライベートはね、違いますから。できるリーマンは公私混同せずっつってね。うん。
仕事ならね、多分いつでもバッキバキにできる。プライベートだから、しゃーない。私は眠れる獅子なのだ。
何かしらを頑張っていたら、その分どこかで手を抜いてバランスを取るのが生きるコツである。さぼったリングは、私が頑張って人生生きてる証みたいなものだ。そう考えると、さぼったリング=さぼリンのことがにわかに愛おしくなってくる。
しかし、とにかく私は「ブルーレット さぼったリング 大盛り泡」と出会ってしまった。
早朝にポチったので、夜には届いた。まったくすごい時代である。
粉を入れたまま30分~1時間程度は放置すべしとのことなので、家族が寝静まる夜中に対応することにした。4時間ほど放置することになるけど、まぁ細かいことは気にしない。
粉を投入してみると、瞬時にモコモコが爆誕するものの、パッケージほど大盛りにはならない。これで本当に、さぼリンとおさらばできるのだろうか?
……嫌な予感がした。
商品名が「さぼったリング」ではあるけれど、さぼリンをどう解決してくれるのか、明言を避けている節がある。完全にこちらの想像任せなのだ。
もしかしたら、
「ブルーレット さぼったリング 大盛り泡(でオシャレに演出)」とかだった可能性ある……?
販売ページのコピーにも、「1包を入れるだけで、こする必要もなく簡単です」とは書いてあれど、「簡単にキレイになります」とか「さぼったリングがピカピカに」などは書いていない。
誇張表現を回避したコピーだろうと思っていたけれど、ここに来て急に不安になってくる。このままでは、こやつに娘はやれない。
いや、落ち着け。
パッケージデザイン的にも、そんな可能性はあり得ない。
……しかし考えてみれば、本来さぼった結果待ち受けているのは、苦痛や試練、後悔である。特に日本では、人一倍苦労してこそ、みたいなところがある。ラクしようとするモノには天罰がくだるのが、世の常だ。
さぼりに対する教訓じみた昔話を読んでは、子ども心に「しっかり真面目に生きていこう! 多分私は大丈夫なタイプだけど」とたかをくくっていた純真無垢なあの頃が懐かしい。
——やっぱり、粉を投入するだけでラクしようだなんて、甘かったのだろうか。
いや、でも……。
商品の意図を盛大に読み違えてしまった可能性に怯えつつ、明るい未来を信じて、私は眠りについた。
===
朝、家族の誰よりも早く目を覚ました私は、早速トイレを確認しにいった。
投入直後より、少し泡が大きくなっているような気がする。さあ、どうなるか……。期待と不安で水を流してみたところ、さぼリンは見事に消失し、トイレはツルピカな陶器肌を取り戻していた。
よかった……。
安堵のため息とともに、ツヤっと光るトイレを眺め、この上なく嬉しくなった。やはり、キレイなトイレは気持ちがいい。家は日頃からキレイであることに越したことはない。
キレイに対するモチベーションは数日続いた。トイレがキレイになると、今度はキッチンの水回りや、子どもたちの手形でホラーみたいになっている窓についても、やってやんよ! という気分になってくる。
獅子が、目覚めたのだ。
家の秩序を保つために何かしら行動したいという情熱に燃えた私は、数日で家中をピカピカにした。一発逆転アイテムなど、もう必要ない。まとめ買いしてしまった「ブルーレット さぼったリング 大盛り泡」を次に使うのは、何年後になることやら、である。
朝、磨きあげられたキッチンに立つ。いつものように、朝日を眺めながら、出汁を取るために鍋に水を張る。最高に気分がいい。
……ところで、ピカピカにしたあとは、そのキレイをどう保ったらいいのだろう?
少しだけ恐れていたジレンマが、小さくゆっくりと、私の思考に入り込んでいることに、私は気づいていた。
最低限できることなら、すでにやっている。多少の蓄積を許しつつも、基本的には使用後のリセットは怠っていない。その一歩先へ踏み出そうとすると、途端に霧が深くなるのである。
厄介なことに、やる気だけはある。一発逆転アイテムに頼らずとも、「ついでにサッとキレイにする」という習慣さえあれば、キレイが保てるのでは? という予感もある。
そこまでわかっていてもなお、やる気に手足を与えて動かしてやる能力が、私にはない。
出汁の昆布を引き揚げながら、私は「新しい習慣」と「今までの習慣」を天秤にかけ始めた。
両者が拮抗しているから、こんなにも苦しいのだ。ジレンマを生じさせているどちらかの比重を高めてやれば、生活の優先度が決まる。
人生のコマを動かすと、思わぬ壁にぶち当たる。ジレンマに対して、前のめりに歩みを進めるも人生、一歩引くも人生。
私はそっと、「今までの習慣」側に、錘を足した。
一番出汁が取り終わる頃には、心がすっかり晴れていた。
壁の前で、踵を返したように見せかけたが、単純に「今までの習慣」に戻る私ではない。経験値としては微々たるものだが、壁を経験することで、私も成長をしているのだ。
二番出汁の準備をし、鍋を再び火にかけながら、とりあえずキレイを保ち続けるための一発逆転アイテムを……と、再びAmazonの奥地へと向かうのであった。
【back number】
#1 プリンと、白湯と、修造と
#2 1. 0倍速の失恋
#3 「らしさ」の残骸
#4 お弁当の圧力