珍しく未来について
自分は自分を基本、信用できない。
例えば、今ハマって母に買ってきてもらっている紅茶味の豆乳だって、いつ飲まなくなるかわからないし、明日の空き時間にできるなと思っている課題も、その時になればまた次の時に、と思っている可能性が大いに考えられる。
「これが好き」「この仕事をしたい」「これをやることにしよう」
これらは基本信用できない三拍子。
最近、あとの自分のためにちょっとだけ親切にすることができる。
机を綺麗にしてからベッドに入ったり、部屋のカーテンを開けてから家を出たり。
本当に些細なことだけど、私からすると大きな進歩で、心と体が健康な証拠だと思っている。
そしてこういうことの積み重ねで、自分も自分を信用できるようになるかもしれない。
いつか、自分の期待に応えられるのは自分一人だけなんだと悟った時があった。これは暗い絶望の話ではなくて、私なりの真実で、かなりポジティブなこと。
ていねいに、かつ人の倍の密度で生きて、最後には自分が一番信用できる人間になっていればいいなと思う。
最近見つけた物理学者が「人間は過去から今を予測して生きている」と話していた。
これは光が脳に届いて処理できる速度の話だけど、その人は過去を豊富にすることでいい今を創れるという論で結んだ。
私は貯金や人生設計のように、未来のために動くのは大嫌いだったけど、
少しだけ考えが変わったきっかけになった。
脱線したが、私が紅茶味の豆乳をいつまで好きでいられるか、よりもこのエッセイをいつまで書き続けられるか、というのはかなりの見ものだろう。